神を選べばいいだけなのに
僕はクリスチャンとして生きていますが、「神様を選び続けるという一見簡単に思えることがなぜできないのか」ということに悩むことがあります。この世的なものや自己中心的なものを選ばずに神様を選べばいいだけなのに、なぜかそれが簡単にできないのです。
たとえ、神様の大きな恵みや祝福を体験したとしても、その後、この世的なものに触れる時に、その神様の恵みをあっという間に忘れるというようなことがあるのです。これは僕にとって恐ろしいことですが、自分が実際にそのようにしているのです。たとえ、神様の偉大さに触れて感動したとしても、この世に触れる時に神様を小さく感じてしまう自分が恐ろしくなります。
この世の影響を受ける
前提として、人間はこの地上で生きている以上、この世という面に触れ続けています。その面には、人とのかかわりもありますし、様々なコンテンツもあります。そういったものに触れているだけで影響を受けてしまうのです。もし、そんなものの影響を俺は受けていないというクリスチャンがいるなら、それはすごいと思いますが、誰であっても「誘惑が来ることは避けられない」ということを覚えたいです。
もちろん、クリスチャンは心のうちに賜っている聖霊の力の影響も受けます。そして、この世の面に対して圧倒的な抵抗をする力もあります。しかし、いかんせん、その聖霊の働きが自分の心の中で閉ざされてしまっているのです。それは僕自身が痛感していることです。聖霊はうちにおられるのに、僕自身が頑なで、硬くて、狭くて聖霊の働きを小さく限定してしまっているのです。
受ける影響を最小限にする
だから、この世に打ち勝つには、自分の内側におられる聖霊の力が解き放たれるように祈る必要があるのは絶対条件です。しかし、その一方で、生きている限り、その面に触れ続けることが避けられないのであれば、どのような面に触れるのか?どのように触れるのか?どのくらい触れるのか?その強度はどうなのか?を見直して、限りなく影響を少なくするという工夫をするのは人間側の役割だと思います。
「君子危うきに近づかず」という言葉がありますが、この世という面においても、様々な面があるので、危険な面に近づかないのはいい方法です。そして、たとえ、危険な面ではなくてもその面に触れ続ける時間を減らしたり、関わり方を減らしたりと強度も抑えることができます。
これくらいなら…
これくらいは大丈夫だろうとか、これくらいの音楽なら大丈夫だろうと思っていても、ほぼ無意識のうちに影響は受けるものなので、気をつけたいと思いました。僕の場合は特に音楽から世界観の影響を受けやすいので気をつけたいと思います。