チャイナセブン
先日中国共産党大会が閉幕しました。チャイナセブンと言われる実質的な中国に最高意思決定機関である政治局常務委員は習近平の側近で固められており、異例の人事で各国に驚きをもって受け止められたようです。
個人的に共青団派の李克強や胡春華がいなくなってとても悲しい人事となりました。さらに言えば、年老いた胡錦涛元国家主席が白髪になって何らかの理由で強制退場させられている場面が悲しさに追い打ちをかけました。
10年前の今頃は
習近平が初めて総書記になった10年前の共産党大会の時僕は中国にいました。当時勤めていた中国の日本語学校のオフィスでは、既に次の総書記(習近平のあと)は誰になるだろう?と話をしていたのを覚えています。当時は胡錦涛前総書記の弟子にあたる胡春華が最も有力だと言われていました。その時誰もまさか習近平がこれまでの慣例を破り、3期目も続投するなどと予想できた人はいなかったでしょう。
さらに、まさか最有力の胡春華が総書記どころか、チャイナセブンどころか、序列24人の政治局員からも外されるという結果となるなどと誰も予想できなかったと思います。
予測不可能
中国の総書記に関わらず、次の10年、いや5年ですら、誰も正確に予測できる人などいないでしょう。「今までがこうだから、これからもこうなる」というのは希望的観測にすぎません。今日を見て、明日を判断することも頼りになりません。時代は刻々と変わっている一方で、急激に変化することもあります。
大切なことは、予測不可能な時代において、裏切らない存在を知ることであり、激動の時代において、変わらない存在を知ることだと思います。誰もが予測不可能で激動、かつ不確かな時代を生きていかなければなりません。
心の嵐を静めるお方
聖書には大嵐を静めるイエス様の奇跡が記載されています。海における大嵐は誰にも予測できません。海のプロである漁師でさえも急激に悪くなる海の模様を予測することはできないのです。そのように海は予測不可能な場所であり、すぐに天候が変わる場所でもあります。
しかし、もしイエス様が心の中におられるならば、イエス様が「静まれ」とおっしゃるだけで嵐は静まります。イエス様は今ももちろん目に見える嵐も静めることがおできになります。しかし、それだけでなく、イエス様は目に見える嵐ではなく、心の中に起きる嵐も静めることができるのです。
これから時代そのものが大きな渦になって僕たちを飲み込もうとするかもしれません。しかし、もし心の中にイエス様がおられるならば心に平安が与えられると信じます。
こうして彼らは波の静まったのを喜び、
主は彼らをその望む港へ導かれた。
詩篇107:30