0256_業務で契約違反は必ず罰則を受ける

神の憐れみ

クリスチャンは日常的にイエス・キリストの憐れみや神の憐れみという言葉を使いますが、憐れみとは一体何なんでしょうか?weblioにはこのように書かれていました。

人の苦しみや悲しみに、深く同情すること。 似た意味の言葉として、人に対して深い愛情を抱く「慈しみ」がある。 どちらも目下の者に向ける感情を表す表現であるが、「慈しみ」が対象を可愛がり、大切にするときに用いられ、「憐れみ」が対象に同情するときに用いられるという違いがある。

引用元:weblio.jp

僕が憐れみという言葉を使う時も同じような意味で使っていました。例えば、僕は社会不適合者ですが、神様の一方的な憐れみにより、これまでもずっと助けてくださっています。僕は人格的にも難のある人間ですが、神様の一方的な憐れみにより弱いところに働いて助けてくださっています。何より、自他ともに認めるこの罪深い人間がイエス様の憐れみによって罪をゆるして頂いたこと、本当に憐れみのほかありません。

契約に対して真実な方

先日牧師先生の説教を聞いて、この憐れみという言葉に対して、新しい見方ができるようになりました。それは、神の憐れみというのは、関係の中での真実さや忠実さのことだそうです。言い換えると、神様は語ってくださった言葉に対して真実であるということです。聖書は神様の人間に対する契約そのものです。それには古い契約(旧約聖書)と新しい契約(新約聖書)があります。

契約というものは、賃貸契約にしろ、業務提携契約書にしろ、業務委託契約書にしろ、契約が履行されることに意味があります。もし、履行されなければ、違反項目に基づいて、それなりの罰則を受けます。人間と神様との間で結ばれた契約は人間側の契約違反の連続でした。人はすぐに高慢になり、自己中心的になり、神を忘れてしまうような愚かなものです。しかし、神は旧約聖書でも新約聖書でもそのような哀れで情けない人間に対して約束をしてくださっています。

それの最たるものは、旧約聖書に預言されていたとおり、イエス・キリストが地上にこられ、私たちの契約違反を身に背負って罰を受けてくださいました。それにより、僕たちは神と和解し、深い愛の交わりの中に入らせていただいたのです。

イエス・キリストの言葉

神様は語ったお言葉に対して真実な方です。聖書には様々な言葉があります。

わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
ヨハネ6:35

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイ11:28〜30

神様はそのひとり子を遣わしてくださったほどに私たちを愛してくださっています。そのような神様が上記のようなみ言葉を実際に個人的に実現させてくださらないようなことがあるでしょうか。あとは、僕たちが求めるだけなのです。