平日どのように過ごすか?
このブログでは「聖書の言で人生を巡航速度まで上げ続ける。イエス・キリストと歩む逓増する豊かな心の人生。」を副題にしています。その理由として、日曜日の礼拝で恵まれて、月曜日から土曜日まで走り続けて、へとへとになってまた日曜日を迎えるというクリスチャン生活をやめたかったからです。
だから、平日どのように過ごすか?についてずっと自問し続けています。そして、今もなお試行錯誤を続けています。その過程ではっきりとわかったことは日曜日だけではなく、平日も24時間、主と共に歩み、時々刻々と主を思い、聖霊に導かれる歩みこそが豊かな心の人生の秘訣だと確信するようになりました。
素晴らしい原理原則
そして、日々の微差の積み重ねこそが大切であり、そしてそれこそが信仰生活に留まらずに、汎用性の高い素晴らしい原理原則だとも思うようになりました。簡単に言えば、「続けることができれば人生は逓増するしかない」と確信したのです。
信仰も、キャリアも、人生全般、すべて続けることさえできれば道は開けると思っています。
意欲が低下
しかし、人は続けるのが苦手です。僕自身も今もそうです。重力や引力に逆らって習慣化させることは容易なことではありません。例を挙げてみます。僕が中国で日本語教師をしていた時、クラスにはだいたい20名くらいいるのですが、授業が進むにつれて離脱者が増えていきます。
それは僕の教授能力の低さや足りなさからくるものもあれば学生の意欲が低下してこなくなる場合もあります。つまり、当初はやる気に満ちて高い学費を払って学ぼうと決意したにも関わらず、いつしか、その熱が冷めてドロップアウトしてしまうのです。
微差の積み重ね
僕はその気持ちがすごくよくわかります。なぜなら、僕は典型的な熱しやすく冷めやすい人間だからです。そんな何をやっても続かない人間に対する打開策は、まさに「続けること」です。むしろ、それしかありません。微差の積み重ね、時間を味方につけることによって道がひらけるのです。
これは信仰も同じです。日曜日の礼拝で恵みを受け取ることは誰にでもできます。しかし、その恵みを失わずに持ち続けて一週間走り続けることが出来る人はどのくらいいるでしょうか。むしろ、それができれば主と共に歩むことができるのです。
主が与えてくださった恵み
言うは易し行うは難しです。しかし、それでも主が与えてくださったすべての恵みを思い、持ち「続ける」ことを渇望して日々歩んでいきたいです。