1338_高校の文化祭に行った時のこと

文化祭に来てほしい

先日の金曜日、教会の高校生から翌日開催される文化祭に来てほしいとLINEがありました。ただ毎週土曜日の午前中は週報の作成、その日の午後は外向けのこどもイベントがあり奉仕がありました。

最初は先約優先の原則で断ろうかとも思いましたが、若い人とのつながりも同じように大切にしたいとも思いもやってきました。くしくも、先日もブログで縦の関係と横の関係のことを書いていたこともあり、心の中で少し祈って今回は午前中に文化祭に行くことにしました。

子供と一緒に高校の文化祭へ

週報作成の奉仕は嫁さんが快く引き受けてくれたので、僕は午前中、子供と一緒に高校の文化祭に行くことになりました。招待してくれた教会の高校生は鉄道研究部的なところに所属していたこともあり、子供は電車のジオラマを眺めたり操作したり、プラレールなどで遊んでとても楽しく過ごしていました。

何より、招待してくれた高校生の普段教会では見ることのできない姿を見ることができて僕は新鮮な気持ちになりました。制服を着ているのを見て当たり前ですが、「本当に高校生なんだぁ」と思いました。また後輩と話をしたりしている様子も見て頼もしくも思えました。

教会という非常に小さな枠の中

普段教会では見れない姿を見て思ったことがあります。それは僕は彼を教会という非常に小さな枠の中でしか見れていなかったということです。彼には多くの才能があります。また若さゆえに純粋さも持ち合わせています。

にもかかわらず、それを教会ではその才能に蓋をしてしまっていたのではないかと思わされたのです。僕はCSスタッフの奉仕をしていますが、子供たちの特性や才能をほとんどわかっていないと思いました。

見る人が見れば

教会では往々にして音楽の才能のある人が用いられる傾向があります。それは礼拝に直結する奉仕になりうるからだと思います。一方、音楽の才能がない人は教会で活躍の場がないことが多いと思います。

しかし、それは僕みたいに見る人の目が悪いからにすぎません。見る人が見ればその人の賜物、才能を引き出し、どのようなことであっても主のために用いさせることができるのだと思います。

だから、このように祈ろうと思いました。

「人の良いところ見つけられる目を与えてください。そして、それを主に向けさせるお手伝いができるように用いてください。」

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