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自信の有無とは?
あなたは今日過ごした1日に自信がありますでしょうか?ここでいう自信の有無とは、1日を過ごす中で、刻一刻と変わる変化の中で、大きなものから小さいものまですべてにおいて最適な意思決定ができたか?ということです。
仕事における重要な意思決定から今日の昼ごはんは何を食べようか?という些細な意思決定も含まれます。また同僚やお客さんからの依頼に対して誠意ある回答と対応ができたかどうか?ということも含まれます。
自分のしたいように1日生きている?!
クリスチャンは人生の歩みが主に導かれていると信じています。それは1日の歩みが主に導かれていることも同じです。しかし、主に導かれているとほとんど潜在意識の中で信じているにもかかわらず、実際は、自分のしたいように生きているのではないか?というのが僕の問いかけです。
クリスチャンが自分のしたいように1日生きた時、きっとその心の中には自信はないでしょう。なぜなら、聖書や神様とのかかわりの中でどう生きるべきか?どう反応してどう回答してどう対応すべきかの原理原則はある程度わかっているはずだからです。
1日に自信がない
僕は現状、1日を振り返った時に多くの場合、今日過ごした1日に自信がありません。むしろほとんど反省しかないように思います。それは仕事であのような回答をすべきじゃなかったな。とか、あのようなことは言うべきでなかった。とかいろいろ反応をミスってしまったと思うことが多いからです。
それは家庭でも同じです。こどもや嫁さんに対してとった言動が正しかったのか?と自分の性格、資質、人格に疑問を持たざるを得ないことが多いと感じています。
主を見上げる
もしかしたら、僕みたいな人間には「今日過ごした1日に自信を持てる日」などはやってこないのかもしれません。しかし、最近思うことは、たとえ自信がある過ごし方ができなかったとしても、神様に感謝する1日の過ごし方はできるのだろうと思いました。
そもそも自分を見れば自信がないというのはもしかしたら当然のことかもしれません。もし、今自分に自信があるというのであれば、それは環境や人に守られているからだけに過ぎないのかもしれません。
だからこそを下を見ず、内を見ず、頭を上げて、命の源であり、信仰の導き手でありその完成者でるイエス様を見上げて歩んでいくことが1日を感謝して過ごす秘訣なんだろうと思いました。