1794_明日は生きていないかもしれない

おのが日を数えること

昨日はアプリをアンインストールすることについて書きました。そのような行動の背景には一つの思想があります。それは「明日は生きていないかもしれない」という生死観です。次男が天のふるさとに帰ってからこの考えが強くなりました。

この地上での時間は確かに有限であり、かつ、死が突如として理不尽に訪れるかもしれないと心の底から理解したのです。しかし、これは悲観主義でも何でもありません。聖書的にごくまっとうな正しい姿勢です。

詩篇 90:12
われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。

知恵の心

「日を数える」とは何のことでしょうか。これは単なる寿命計算ではありません。日を数えるということは下記をしることに他なりません。

  • 人生が永遠ではないと知ること
  • 今日が当然ではないと知ること
  • 時間は神からの贈り物だと悟ること

なぜなら、僕がそうであったように、人は「自分はまだ大丈夫」と思うと、高慢になり、先延ばしし、悔い改めを後回しにしてしまうからです。しかし、自分の有限性を知ると、傲慢が砕かれ、優先順位が変わります。そうして、はじめて本当に大切なものを選ぶようになるのです。これが「知恵の心」です。

不要なものは取り除く

日を数えるようになってから、僕は今日生きられることに感謝するようになりました。そうして、生かされているということも知るようになりました。なによりも、天に帰った時に後悔したくないと強く思うようになりました。

以前の自分のままだと「なぜあんなアプリを触り続けたんだ」とか「僕は与えられた時間を有意義に主のために使うことをしなかった」と後悔することが目に見えていました。そういった考えから自分のこの地上での1日の過ごし方を見つめ直し、不要なものは取り除き、必要なものを取り入れるようにしています。

早く寝るほうがいい

ここ数か月は何度もしつこく書いていますが、早寝早起きはそういった思想と親和性が非常に高いです。なぜなら、夜起きてしていることと言えば、よっぽどの自制心がない人でない限り、僕を含めてみんな大した時間の使い方をしないからです。

そのような時間は捨ててしまって早く寝るほうがいいと思っています。そうして早く寝れば自然と早く起きられるようになります。これは、鶏が先か卵が先かの問題ではありません。間違いなく、早寝が先です。

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