おんぶにだっこでい続けるのは危険
昨日はAIに忠実にデザイン通りに生成させる方法について書きました。仕事においては圧倒的な時短に繋がり他の業務をする時間も増えていいことしかありません。しかし、それはもろ刃の剣でもあります。現時点での僕の仕事とAIはバランスがとれており、均衡を維持できています。
しかし、どこかのタイミングで人間を必要としないとは言わないまでも、フルタイムとしては必要とされない時代が来た時に、AIにおんぶにだっこでい続けるのは危険だと思っています。
そのための準備として
そのための準備としてフィジカルにも振るようしています。例えば、筋トレなどもその準備の一つになります。明日から君は来なくていいと言われた時に、体力がなければ肉体労働はできません。しかし、日頃から体を鍛えていれば肉体労働にも従事することができます。僕は本気でそのように思っています。
たとえば、僕の知り合いのエンジニアは電気工事士の試験を受けようと思うと話していました。彼の話によると電気工事の仕事は現時点ではAIにとってかわることがないという判断だそうです。確かに、ロボティクスの進歩は著しいですが、現在の電気工事の仕事をするには数も足りないし、作業も難しいと思います。
言語の分野で言えば
僕のもともとの専門は中国語です。言語の分野で言えば、もうAIが圧倒的優位な立場にいます。会話と同時にテキストで文字おこしをするなどを簡単にこなします。じゃあ、僕の中国語を話す能力が無駄になるのか?といえばそうではないと思っています。
むしろ、生身の人間から発せられる中国語には価値があると思っているからです。普通に考えたらこの世界は生身の人間との人間関係で成り立っています。営業という仕事はどんな仕事がなくなってもなくなることはないと言われていますが、結局、人間関係を構築できる能力は人間が持っているのです。つまりテキストではだめだということです。
音読で外国語を学ぶ
だから僕はこのAIで何でも生成できる時代に、音読で外国語を学ぶという超絶アナログな方法で各種学習を進めています。それは、「僕が話す言葉」はAIに取って代わられることは決してないからです。だから、半ば冗談ですが、AIに学習されないように自分の声や音声はネット上にあげないようにしています。













