主の山に備えあり
昨日はたとえプロジェクトから外れたいと思うことがあっても、主の導きと会社の体制のおかげでプロジェクトを続けることができていると書きました。実際面では主の山に備えありで、何かあった時に上司が僕の代わりにお客さんと対峙してくれる体制ができています。
僕はいつも上司に対して感謝に堪えません。なぜなら、上司も「お前ももう39歳なんだから、頑張ってお客さん対応がんばれよ!給料はらってるだろ!」と言っても何も不思議ではないからです。しかし、上司は嫌な顔一つせず、いつも助けてくれます。
避難先で回復
この緊急時、自分ではどうしようもでいなくなった時の「避難先」は仕事だけではなく人生においても重要です。なぜなら、本当に心が折れた時、メンタルがやられた時、倒れてしまって起き上がれそうにない時、誰にでも避難先は必要だからです。避難先で回復し、立ちあがり、また人生の荒波に向かって立ち向かっていくことができるのだと思います。聖書にはこの避難先に関して多くの記述があります。
サムエル記下 22:3
わが神、わが岩。わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救の角、わが高きやぐら、わが避け所、わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。
サムエル記下 22:33
この神こそわたしの堅固な避け所であり、わたしの道を安全にされた。
詩篇 37:39
正しい人の救は主から出る。主は彼らの悩みの時の避け所である。
助けを求めること
恥ずかしいながら僕は比較的すぐに音を上げるタイプです。強靭なメンタルとか耐え抜く力とかは本当にありません。僕は自他ともに認めるへたれです。しかし、信仰をもっていてよかったと思います。なぜなら、すぐに主に頼ることができるからです。自分はだめだ。自分は弱い。自分はすぐに倒れる。だからこそ主が必要だと思えます。
聖書は、助けを求めることを悪いことだと書いていません。聖書は「できるところまで頑張れよ。」とか「弱音を吐くな」とか精神論で鼓舞することはありません。むしろ、助けを求めることを推奨しています。
主こそが僕の避け所
そして、御自身の御言に忠実なお方は確かに御言どおりに応えてくださり、助け手くださいます。振り返ってみれば僕の人生はただそれの繰り返しだったかもしれません。僕は弱いですが、主は偉大です。主こそが僕の避け所です。
詩篇 59:16
しかし、わたしはあなたのみ力をうたい、朝には声をあげてみいつくしみを歌います。あなたはわたしの悩みの日にわが高きやぐらとなり、わたしの避け所となられたからです。