0663_久しぶりにベースを手に取って

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ベースを久しぶりに

最近少しだけですがベースを触っています。昨年教会で開催されたCSクリスマス会でベースを弾く奉仕があり、おおよそ3年ぶりくらいに礼拝で使いました。1年ほど前は自分で音楽を作るためにベースを弾いていたことはあったのですが、教会でしっかり弾くのはだいぶ久しぶりでした。やはり一人で音楽を作るために弾くのと教会で一つになって礼拝で弾くのとでは全く別の体験です。前者はあくまでも音楽、後者は礼拝です。

演奏者はただたんに音を奏でる者としてではなく、礼拝者として用いられる時に言葉では尽くせない大きな喜びが心に与えられるものだと改めて思いました。また来月くらいに礼拝で弾くことがあるので、少しづつリハビリをしつつ礼拝者として整えられた者になりたいと思っています。

手入れしないと

久しぶりにベースを手に取って驚愕したのが、ひどい錆びでした。ほとんど手入れをしせずに保管していたので、弦は茶色に変色していて、手垢もついている始末でした。さらにフレットも緑色までに変色しているところがあり、これは完全にやってしまいました。昨年のクリスマスには弦の交換は間に合わなかったので、錆び錆びのやつで奉仕しました。

昨日、ようやく新しい弦に交換し、フレットも拭いてやりましたが、さびがかなり頑固で落としきるところまでできませんでした。フレットはへたに磨き過ぎると、弦高が低くなりすぎて、弦を弾いた時に弦がフレットに当たってしまい、ビビリの原因になってしまいます。弦の交換は無限に可能です。また、ネックの反りはある程度まで直せます。ただ、フレットを交換となると修理が大変になります。

とりあえずは、フレットを磨く方法を別途調べて道具や薬剤をそろえようと思いました。

「いつか~」の精神でいると劣化する

ベースだけでなく、多くの楽器は手入れをしないと取り返しのつかないほどに劣化してしまうことがあります。それは多くの楽器が金属や木材でできているからです。適切な手入れをしてやって適切な環境に保管してやらないと汚れや湿度などで駄目になってしまいます。

おそらく「いつか使うだろう」くらいに思っていると、なかなか手入れをするために腰があがりません。人間自身も同じで、もし「いつか〇〇だろう」くらいの気持ちでいると劣化していく一方です。それは身に着けたスキルもそうですし、新しく身に着けたいと思っているスキルもそうだと思います。

クリスチャンだと「いつか主に用いられたらいいな」くらいに思っているとクリスチャンとして生きる「その気」にはなれないものだと自分自身を見て思います。だからこそ、「いつでも主に用いられるように」と準備して整えられた器でありたいと思いました。

おっさん
■「いつか~」だと言っていると、かならず劣化する

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