二つの知識
この世界には二つの知識があります。一つはこの世に属する知識です。聞こえは悪いですが相対的に肉の知識と呼ぶことにします。これはこの地上で生きるために役に立つ知識で学校や書籍など得ることができます。たとえば、英語、数学、プログラミング、経営、マーケティング、経済など様々なものが学問として成立しています。
もう一つは聖書的に書かれている知識です。肉の知識に対して霊的な知識と呼ぶことにします。これらは信仰者としてこの地上で生きるために必要な知識で聖書や信仰書から得ることができます。たとえば、神学、教義、真理、これまでの聖人が歩んできた信仰生活などが含まれます。
神の御心がわからない
時にこのようなことを聞くことがあります。それは「神の御心がわからない」というようなことです。進学、就職、転職、結婚相手、老後などの意思決定に関して神の助けが必要であるにもかからわずわからないという状況です。
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しかし、多くの場合、意思決定するための霊的な知識はすでに聖書で与えられていることがほとんどです。それを自分の実際の状況に適用し、具体化するには聖霊の導きが必要になります。つまり、聖書の霊的な知識と聖霊の導きさえあれば神の御心を知ることができると思っています。
霊的な知識
「いや、そんなことない!なんで私にこんな悲しみが起こるんだ!神は沈黙している!神の御心はなんだ!」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。僕も激しく同意します。なぜなら何度も同じように思ったことがあるからです。しかし、聖書はそのような状況であっても明確に信仰を失うことなく従順に希望をもって従ってきなさいと教えています。これが霊的な知識です。
シャデラク、メシャク、アベデネゴはまさにこの霊的な知識をもっていました。
ダニエル書 3:18
たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。
生かされるのか?殺されるのか?神の御心はわからない。しかし、「たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」という信仰です。
心がついていかない
しかし、このようなことを告白するのは容易ではないと思います。なぜなら、誰でも人間だからです。恐れ、悲しみ、痛みがあるのは当然だからです。つまり、霊的な知識をもっていたとしても心がついていかないという状況があるのです。
それに対して聖書はどのように言っているでしょうか。
コリント人への第一の手紙 8:1
しかし、知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。
それが霊的なものであっても、それはやはり「知識」なのです。知識よりも大切なのは愛です。霊的な知識に心がついていかなと感じる時こそ、必要なのは神様の愛です。聖霊によって神様の愛が迫ってくる時に、「確かに今この状況は厳しいかもしれない。しかし、あなたがいるから私は大丈夫。あなたにゆだねます。」という信仰がくるのだと思っています。
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