1837_教会に属することによって成長できる | 教会なしの信仰はありえない

狭い門

クリスチャンの人生に幸いなことなどありません。もちろん前提があります。それは肉においては幸いなことはないということです。クリスチャンはキリストのような者という意味ですが、福音書を読めばキリストのように生きることがどういったことかがよくわかります。

それは、悲しみの人で病を知っている生き方であり、自分を捨て死に至るまでも従順な生き方です。ほふられる子羊のように口を開くこともされなかった。それがイエス様の生き方です。こう書くと、人間の肉にとって幸いなことは一つもないということがよくわかると思います。だからこそ、狭い門なのです。

教会に属すること

御言によって戒められること、聖霊の導きによって荒野を通らされること、主にあって訓練を受けることは肉にとっては苦痛でしかありません。しかし、霊においては違います。霊においてそのように生きることができるのは幸いです。それは喜びであり、祝福であり、恵みです。

そして、僕はその道が教会に属することによって与えられると信じています。もちろん、教会なしでも苦難や困難があります。しかし、神の家である神の教会に所属することによって、はじめてその苦難や困難が自分にとって必要なものだったと教えられるのだと思っています。

詩篇 119:71
苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。

砕かれる原則

教会には試練がつきものです。その一つは人間関係の試練です。ほとんど何の共通点もないような人たちがただ神によって救われたという一点においてだけで一致するのです。人間の目から見れば一致などできるはずがありません。物事を進めていくときに意見の違い、遠慮のない強烈な一言、苦手な人、それらは教会生活に絶対につきものです。

僕もそういったところを通らされてきましたし、今も通らされています。そういった時に練られるのです。砕かれるのです。オリーブの実が砕かれないとオリーブ油ができないように、砕かれなければ周りによい香りを出すことはできないのです。これは聖書の原則です。

神の性質にあずかる者

主はなんども「受け入れなさい。ゆるしなさい。いや、むしろあなたにはゆるす権利もありません。その人のために祝福を祈りなさい。」と語られました。これらは僕の肉にとっては受け入れがたいことでしたが、心に「主よ。わかりました。祝福します。祝福を祈ります。」と決断して実際に声に出した時に主は働いてくださったのです。

この時に主のご性質に与る恵みを知ることができます。

ペテロの第二の手紙 1:4
また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。

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