教会学校のメッセージで気をつけていること | 悩みは本質は変わらない

子どもたちの心をつかまなければ

僕は教会で教会学校の働きに従事させていただいています。その中で聖書の言葉を語る働きがあります。4年ほど前この働きにかかわり始めた時はこのように思っていました。

「最近の子どものことはわからない」

メッセージでは、まず子どもたちの心をつかまなければなりません。そうしないと、メッセージを聴いてくれないからです。だから僕は最近の子どもたちが何が好きなのか?関心ごとは何なのか?ということに心を配っていました。

主が子どもたちの心をつかまれる

しかし、失敗を通してそれらは重要ではないと気付くようになりました。なぜなら、子どもたちの心をつかむのは僕じゃないからです。主が子どもたちの心をつかみ、心を開いてくださるのです。それから、僕は小手先のテクニックや世俗的なアプローチを完全にやめて祈りに徹することになりました。

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えーそんなこと祈るの?と思われるかもしれませんが、教会の子どもたちにヨエル書の聖霊の御言が成就するように祈っています。それは当然です。なぜなら、誰でも聖霊によらなければイエスは主であると告白することはできないからです。だから、この時点で僕は主にゆだねることにしました。

悩みは本質においては変わらない

そして、さらに教えられたことがあります。それは僕が外見は40歳、中身は2歳児だからかもしれませんが、実は「大人の悩みと子どもの悩みは本質においては変わらない」ということです。

子どもも家族の中で生きています。また幼稚園や小学校など組織に属していきています。人間関係の中で生きています。これは大人も全く同じです。つまり、僕が日常生活を送る中で感じている悩みや不安や恐れなどを「うまく子どもたち正直に告白することで伝わるものがある」ということです。

御言と向き合う

結局、子どもたちとの関係は正直に向き合っているかにかかっているように思います。僕がもしメッセージで自分もできていないことを表面的に一つの教えとして語るならば、それは言葉は悪いですが、情報の伝達で終わってしまいます。子供は気づきます。そして、嘘つきだとは言わなくても「違和感」に気づくのです。

しかし、僕が御言と向き合って悔い改めて、内容はつたないかもしれないけれども主により頼んで語るならば、子どもたちは受け取ってくれるということです。これは主の働きです。上述したように主が子どもたちの心をつかみ、心を開いてくださるからです。

許されて

これは卑下でも過度な謙遜でもありません。僕は本当に語る資格のないものです。ほかの人が語ったほうがいいと思います。しかし、主が僕を選んでくださったので、許されてこの恵みにあずからせていただいています。

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