教会生活なくして信仰生活はない
僕はこのブログで一貫して教会生活なくして信仰生活はないと書いてきました。それは教会はキリストの教会だからです。クリスチャンは、イエス様を愛していると言いながら教会は愛さないということはできません。
今は教会に行かなくても特定の教会の所属してなくても、Youtubeなどで説教を聞くことができます。礼拝もすることができます。それ自体は悪いことではありません。なぜなら、大切なのは信仰だからです。そういったことはあくまでも方法や形式であり、最終はその人と神様との個人的な関係にいきつくからです。
霊的な緊張感
しかし、Youtubeによる礼拝には欠けているものがあります。それは霊的な緊張感です。これは僕の実体験をもとに書いています。僕はYoutubeで礼拝することがありますが、それは実際の礼拝とは全く異なる体験だと感じています。
神様の前に出る時には必ず霊的な緊張感が伴うものです。なぜなら、礼拝は神様を畏れ敬うものだからです。しかし、家で行う礼拝にはそういった緊張感が限りなく少ないというのが僕の考えです。一方、教会で奉仕をする時にその霊的な緊張感はより一層強くなります。
あなたに会いたい
だからこそ、教会に所属して教会で礼拝し奉仕することが大切だと思うのです。俗なたとえで恐縮ですが、大切な恋人がいるとして、毎週のデートがZoomでいいでしょうか。顔を合わせずにLINEのやりとりだけでいいでしょうか。冷めた関係ならそれでいいかもしれません。
しかし、イエス様は命を捨てるほどに愛してくださっているお方です。僕は主が「対面で、教会であなたに会いたい。私の臨在をあなたに現わし、私がいかにあなたを愛しているかを知ってほしい。」と思っているのだと思っています。
主に感謝
僕は毎週日曜日、僕に教会を与えてくださっていることを主に感謝しています。そして、共に礼拝する先生、兄弟姉妹がいることを心から主に感謝しています。教会はただの人の集まりじゃありません。主がおられるところです。













