0091_自粛時のセルフメンタルヘルス!独り言の効能!

「わたしたちは幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。」とアメリカの哲学者であるウィリアム・ジェイムズが言いました。これは「卵が先か、鶏が先か」の議論ではなくて、事実であると思っています。自分にふりかかってきたことに対して、どのような反応をするかは自分で選択することができます。

日常生活において、気持ちがネガティブになる時もありますが、「しんどいなぁ」と口から言葉を出した瞬間に本当にしんどくなってしまうものです。パソコンに例えると、心の中で「しんどいなぁ」と生起した感情はメモリと同じで、すぐに揮発するものです。しかし、それを口に出した瞬間にがっつりハードディスクにカリカリと「しんどい」事実が書き込まれてしまい、実際にしんどくなってしまいます。

Twitterなどでネガティブなことを書く人もいますが、あれは自分の心のハードディスクにネガティブなことを書き込みまくっていることになるので、いずれ書き込み容量がなくなって、いつか精神がおかしくなるんじゃないかと思っています。

ストレスの多い現代においては、嫌になったり、しんどくなったり、イライラしたりすることは避けられませんが、それを自分で能動的に揮発させて、逆に心のハードディスクに良いことを書き込む選択もできます。

僕の父はそれを意図的にしていたかどうか知りませんが、父は会社から帰ってきてから、家族の前で仕事の愚痴を言っているのを一度も見たことがありません。仕事に行く前は、「よし!よし!かぁちゃん行ってくるわー!」と気合を入れて出勤していました。

普段からも、急に変な声を出したり、笑い声を出したり、傍から見ると頭がおかしくなったんじゃないかと思いますが、それで、上機嫌を保っていたようです。

そんな父を見て育ったせいか、僕は一人暮らしでも、「よっしゃ!」とか「ウヒャヒャ!」とか奇声を出して生活をしています。通勤中、しんどく感じる時も「オイラは元気だ!」と口に出して言うと元気になってくるものです。

大好きな聖書の御言にはこのように書かれています。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
テサロニケⅠ5:16-18(口語訳)

大切なのは、前半部分ではなくて、後半部分の「キリスト・イエスにあって」というところです。根拠のない喜びではなくて、心のこもっていない感謝じゃなくて、対象がぼんやりしている祈りでもありません。

キリストが共にいてくださる喜びと感謝、そして、自分が知っていて、かつ知られている神に祈れるからできることです。