1940_幼児、小学生の子どもたちが聖霊に満たされるように祈る | 残されている時間は多くはない

困ったことはありませんか?

先日のパスワード忘れた事件のCSの説教の時の導入時に子どもたちにこのような質問をしました。

「最近、困ったことはありませんか?」

ある子どもは「雨が降って困った」と言い、ある子どもは「約束の場所に友達が来なくて困った」と言っていました。その中で自分の子どもは「外遊びの時に一人で遊んで困っている」と言っていました。確かに保護者懇談で、息子が遊びたいところになかなか入れずに一人で立って様子を見ているというのを聞いていましたが、本人もその自覚があるようでした。

大変なストレス

息子は今年の4月から年少で幼稚園に通っていますが、未だに月曜日は幼稚園に行くのを渋ります。親から離れて、自分で言葉を伝えて自分で行動して友達との関係を切り開いていかなければなりません。

これは大人にとっても大変なストレスです。新しい環境、かつ、何もかも初めての状況は子供にとっては途方もないほどのチャレンジなのでしょう。しかし、嫌なことばかりじゃないようです。友達ができたり、学習すること自体を楽しんだり、会話が上手になり、彼自身も成長の手ごたえを感じていると思います。

今回の彼の回答から楽しみながらも苦闘する中で彼なりの困ったことがあるのだとわかりました。

イエス様に直接出会う

僕がCSの子どもたちのために祈っていることがあります。それは彼ら彼女から早い段階で聖霊に満たされるという体験をしてほしいということです。言い換えれば、イエス様に直接出会うという体験を幼い頃にしてほしいと祈っています。むしろこの体験がなければ中学生にでもなれば教会を離れて行ってしまいます。

だから、残されている時間は多くありません。その中で僕は子どもたちも聖霊に満たされて深く主を体験することができると信じています。なぜなら、神様は分け隔てをなさらない方だからです。だから説教の前の個人的な祈りではこういった一見CSに対してらしくない、いくつかの御言を宣言して望んでいます。

ヨエル書 2:28-29
その後わたしはわが霊をすべての肉なる者に注ぐ。あなたがたのむすこ、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちは幻を見る。
その日わたしはまたわが霊をしもべ、はしために注ぐ。

コリント人への第一の手紙 12:3
そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

イザヤ書 44:3-4
わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。
こうして、彼らは水の中の草のように、流れのほとりの柳のように、生え育つ。

愛や喜びや赦しを必要としている

こう祈るのは、子どもたちも僕たちと同じように主が必要だからです。今回の質問で子どもたちが答えたのはほんの一部です。言語化できていないだけで彼ら彼女らは毎日神様の助けだけではなく愛や喜びや赦しを必要としています。

だから彼ら彼女らが聖霊で満たされるように今日も祈ります。

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