短気な性格がより強調
昨日に続きZero Anger(怒りゼロ)について書きます。何が原因なのかはわからないのですが、ここ数年、自身の短気な性格がより強くなってきているのではないか?と思うようになりました。いくつか原因が考えられます。
歳をとるとともに会社での仕事が増え役割が大きくなってきた、結婚により全く血の繋がっていない人との共同生活の開始、子供のわがままへの忍耐、男性の更年期障害に入ったのか?などが考えらえます。
バックスライド
僕は確かに短気な性格でしたが、それでも相対的に周りに対しては寛容的だったと記憶しています。ここぞという時には怒りますが、それ以外は「まぁまぁ」と言う感じだったはずなのです。それが、今は日常生活における人との些細な出来事やすれ違いで怒りがこみあげてくるようになったのです。
これは自身にとって非常にショックでした。自分の中にあったと思っていた寛容さが喪失してしまったからです。寛容さはクリスチャンにとって欠かせない徳の一つです。これが失われたということは、僕にとってバックスライドしていることと同義なのです。
造り変えられるチャンスはある
ある時、車で運転していた時に右車線を走っているタクシーが急に指示器を出して僕の車線に入ってこようとしました。その時僕はとっさに「あほか、このタクシーなに考えとんねん!」と声を荒らげたのです。確かにあわやぶつかるというところで確かに危なかったのですが、刺激に対する反応に猶予がなく即このような言葉が口から出たことにショックを受けました。
僕はその場で、嫁さんに「車運転している時にその人の本性が現れるよね。この車を運転している時に何かあった時に心が乱れ声を荒らげるのどうにかして直したい」と言いました。すると嫁さんは「長年のものがあるからね~」と聞き流したのです。それに対して僕はめげずに「まだ造り変えられるチャンスはある」と言いました。
砕かれないと
僕はZero Anger(怒りゼロ)を掲げて目指していますが、御覧の通りの状態です。短気な性格がより強調されつつある状況で怒りゼロなど可能なのでしょうか。僕はイエス様ならできると信じています。なぜなら、僕の魂を確かに救い、罪から命へと導き入れてくださったお方にとってそれはたやすいことだと思うからです。
主にはできる、自分にはできない、これは確かに事実です。しかし、もう二つ大切なことがあります。一つは「確かな覚悟」と「変わるために必要な試練を受け入れる」ということです。ようは砕かれないと人は変わらないのです。
Zero Anger(怒りゼロ)の途上には様々な霊的な戦いや困難が待ち受けていることでしょう。しかし、その先には主と同じ似姿という最高のゴールが待っています。僕はそれを愚直に求めていきたいです。













