1918_教会にいる苦手な人に対してどう対応すべきか | 聖書の原則の真実

必ずダメ出ししてくる

先日、主が栄光を現わしてくださったことを体験しました。それは別に集会で何か恍惚感を味わったり、深く満たされたという体験でもありません。ただ古い自分が死に、今も生きておられるイエス様がその性質を僕の中に現わして下さったという体験です。僕はその表れも主のご栄光だと思っています。

今行っている教会には僕にとって苦手だと感じる人がいます。その人は何か意見を言わないと気が済まない人なのです。僕がCSで説教してもポスターを作っても何か意思決定しても必ずダメ出ししてくるのです。

やっぱり来たか

この方が今の教会にいらっしゃるのは感謝なことです。なぜなら僕の訓練になるからです。僕は聖書の原則に従って、その方の祝福をお祈りしています。そうすることがイエス様が望んでおられることだからです。

先日はある意思決定がなされました。先日教会に行くと、その方が僕を見るやいなやすぐに僕のところにきました。僕は「やっぱり来たか」と思いました。そこで、だいたい言われるだろうと思っていたことを言われました。

古い自分なら、感情的になって言い返していたでしょう。しかし、僕は奇跡的に主のおかげで非常にバランスの取れた反応ができたのです。それは決してなんでもはいはいというものでもありません。感情的にならずに伝えるべきことを丁寧に伝えることだできたのです。

僕には不思議に見える

そして、僕の心の中にはイライラした気持ちやその方に対する否定的な思いも起こってきませんでした。その瞬間に僕はすぐに主を賛美しました。

「これは主がなされたことで、僕には不思議に見えます。なぜなら、古い僕ならば必ず感情的になり言い返していたからです。しかし、憐れみに富み、恵み深いあなたは私の中にあなたを現わしてくださいました。」

もし古い僕だったならば、家に帰ってから嫁さんにまたあの人にこんなこと言われたと愚痴を言っていたことでしょう。しかし、僕の心の中は平安と喜びで満たされていました。それは主にあって古き自分を制御した勝利感があったからです。

大きな喜びが心に満ち溢れる

今はワールドカップで世界中が熱狂しています。僕は見ていませんが、日本チームも奮闘しよい結果を出しているようです。日本チームが勝利した時に大きな喜びが満ち溢れるように、古き自分に勝利した時には同じように大きな喜びが心に満ち溢れます。ただただ主に感謝します。

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