1917_霊的な生活のために断食祈祷はオプションではなく必須 | NOというための訓練

ある教会のSNS

ある教会のSNSにこのような内容の投稿がありました。一部のみ抜粋しますが、それはこのようなものです。

1月に立てたこれらの目標を覚えていますか?

  1. 神の言葉を学ぶ
  2. もっと祈る
  3. 毎日日記をつける
  4. セルグループの集まりに参加する
  5. 10km走る
  6. 断食を始める
  7. ミニストリーで奉仕する
  8. 友達と会う

順調に進んでいる目標もあるでしょう。
少し遠回りしている目標もあるかもしれません。
でも、それで大丈夫です。

僕はユニークでとてもいい教会だと思いました。それは教会の進べき方向を子供ですら実行できる、わかりやすい具体的な行動にまで落とし込んでいるからです。時に10km走るというのが個人的には面白いと思いました。身体、精神、霊の三つが密接に相互作用しており、いずれも欠かせないからです。

断食を始める

特に僕の目に留まったのは「断食を始める」でした。なぜなら、これは僕が何度チャレンジしてもいまだに習慣化できていないからです。奉仕前のスポットでの断食祈祷はできるのですが、習慣化されていなかったのです。僕はこの教会の会員ではないですが、僕もこのリストにあやかろうと思いました。

そして、在宅勤務の日である火曜日と木曜日は休憩時間を断食祈祷にすると決心しました。まだ昨日の1回しか実行できていませんが、これまでと同様、下記御言に沿った良い習慣を主に願い求めるならば主にあって実行させて頂けると信じています。

ピリピ人への手紙 4:8
最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。

霊的な訓練には断食祈祷は欠かせない

先輩クリスチャンを見ても霊的な訓練には断食祈祷は欠かせないと思っています。イグナチオ・デ・ロヨラ著の「霊操」にも断食することがあげられています。大切なことは断食することではなく、断食して祈ることです。それはずっとこのブログで書いてる「デタッチメント(執着からの離脱)」に効果があると思っています。

僕は正直に言って、この世のすべての誘惑や魅力に対してすぐにNOと言えるようなクリスチャンではありません。自分の弱点が存在していたり、主に喜んでいただくよりも自分を喜ばすことを優先したくなるようなこともあります。僕はここに主にあってNOと言えるようになりたいです。

神様のとの深い愛の関係に入る

もしかしたらある人はストイックすぎる、禁欲的な生活は反動がくる、遅かれ早かれ律法主義に陥るなどの指摘をされるかもしれません。しかし、カトリックの書籍を読めば、別にそれは律法主義でも禁欲でもないことがわかります。それは霊的な生活、つまり、神様のとの深い愛の関係に入るために必要な道なのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)