1日に何時間祈るか?
このブログでは1日に何時間祈るか?ということに対して試行錯誤し霊的生活を実践してきました。クリスチャンの中には霊的なこと、神様との関係に関して定量的な目標を掲げることに違和感を覚える方もいると思います。なぜなら、すべては神様との個人的な関係性の話だからです。
ブラザーローレンスのように日常の些細なすべてのことにおいても神様の臨在を感じることができると考えると、特定の決まった時間だけ主の臨在を求めるという姿勢そのものが間違っているのかもしれません。
祈りが鍵になる
しかし、僕自身はブラザーローレンスのように日常の家事、仕事、友人との関係の中すべてにおいて神様の臨在を感じれるようになりたいですし、また、一人部屋にこもって祈る中で神様との個人的な深い祈りの時間を持ちたいと願っています。
なぜ、あえて定量的な目標を掲げるかというと、僕の今の生き方と使徒行伝の弟子たちとの生き方に雲泥の差があるからです。同じ聖霊のバプテスマを受けたというのなら、福音の実をもっと結び、人格的にもキリストに似た者に近づきたいと思うからです。そのためには祈りが鍵になると思っているのです。
自身の霊性の問題
もちろん、神は言である以上、神の言を食べる、蓄える、黙想するなどは必要だと思います。それに取り組んだ上で、どのくらい祈れば聖書的な生き方ができるのかを切実に知りたいと思っているのです。
ここで僕は「何時間祈らないといけない」という義務の話をしたいわけではありません。それは本末転倒で遅かれ早かれ律法主義に陥り、無味乾燥な宗教生活になってしまうでしょう。僕は何度もその失敗をしてきました。
大切なのは恋人となら時間を忘れて何時間でも一緒にいたいと思うように、限られた可処分時間の中でどれだけ自分の時間を捨てて主と共に時間を過ごしたいと思えるか?という自身の霊性の問題なのです。
現在の霊性を現わす
つまり、1日に何時間祈っているか?祈りたいと思えるか?言い換えれば、どのくらい主と個人的な時間を過ごしたいか?その時間こそが自身の霊性を現わしていると考えています。もし、僕が1日に10分ほどしか祈っていないとしたら、それが僕の現在の霊性を現わしています。
ですので、「今日は1日2時間祈った!よっしゃ!」というよりも、自分の霊がそれほど主ご自身を必要としているということがわかるということです。













