1864_クリスチャンはノンクリスチャンと結婚してもいいのか | どう生きたいかだけの問題

夫婦が同じ思い

昨日は信仰上子供に参加させたくない幼稚園のイベントには参加させていないということを書きました。

このような信仰上の対応を子どもにする際に絶対に不可欠なことがあります。それは夫婦が同じ思いになっているということです。

もし、自身の配偶者がクリスチャンでない場合、こういった決断をして実行していくのは容易ではありません。それは、「なんでそこまでしないといけないの?」や「イベントに参加できない子供がかわいそうだ」とか意見の相違が生まれることがあるからです。

クリスチャンじゃない人

だから「徹底して信じたい」と思っているなら、配偶者にクリスチャンを選ぶことは当然の選択のように思います。クリスチャンにとって将来の配偶者を選ぶのは頭を悩ませるものです。僕自身、中国から帰ってきてから婚活をする中で、クリスチャンじゃない人と接点を持つことがありました。

ある人は教会に連れて行った時点で「ここはわたしのいる場所じゃない」とはっきり言われ交際を断念しました。またある人は、洗礼を受けてほしいと願い教会にも通ってもらっていましたが、結局「信じることはできない」と言われて断念しました。

そもそも、世の中の人からしたら、「本当に結婚したいなら洗礼の有無関わらず結婚するものでしょ。」と思われるかもしれません。しかし、僕にとっては配偶者よりも優先すべきことがあるのです。だから、このような選択になるのです。これはノンクリスチャンの方にはなかなか理解してもらえないことです。

次の妥協が待っている

だからこそ、クリスチャンが配偶者を見つけることは決して容易なことではありません。多くの方が苦戦しており、悩み、苦しみ、悲しみの中、婚活をしていることが多いと思います。

「結婚しているお前が言うな」と言われるかもしれませんが、このことは事実だと思います。それは、妥協して結婚するよりも主を選んだほうがいいということです。なぜなら、妥協した結婚の次は必ず次の妥協が待っているからです。

もちろん、もはやクリスチャンとして熱くもなく冷たくもなく行きたいというのならそれでも問題ないでしょう。しかし「徹底して信じたい」と思っているなら、その選択はないと思います。

永遠のことを考えれば

なぜこんなことを書くかというと、永遠のことを考えれば、この世での一瞬の人生の中のせいぜい40年~60年ほどの結婚生活を妥協することはもったいないと思うからです。結婚している僕には言う立場がないかもしれませんが、もし、僕がまだ独身ならそのような選択をしていると思います。

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