1865_魔はさすべくしてさすもの | 小さな妥協が次の大きな妥協を生む法則

魔がさした!?

昨日に続き「徹底して信じる」ということについて書きたいと思います。もし徹底して信じる覚悟があるなら、一切の妥協はしないほうがいいと連日書いてきました。

理由は「今の妥協が必ず次の妥協を生む」からです。よく事件のニュースなどで「まさかあの人が」というようなコメントを見ることがあります。その本人も「魔がさした」と言ったりするのですが、いきなり魔がさして犯罪行為をすることなどあり得ません。

欲がはらんで罪を生み

なぜなら、人はまず思うからです。思いがやってきてそれを拒絶しない限りは、その思いはどんどん大きくなっていきます。そして思いは行動に現れます。最初は誰も気づかないような小さな行動かもしれません。また最初の方は別に法に抵触するようなことではないかもしれません。しかし、その行動を放置し続けるなら、やがて大きくなり大きな事件という形で現れると僕は考えています。

聖書はこのことを「欲 → 罪 → 死」という順序で書いています。

ヤコブの手紙 1:15
欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。

妥協しながら生きてしまっている

僕自身は「今の妥協が必ず次の妥協を生む」ことの連鎖も同じように捉えています。つまり、小さな妥協が次の大きな妥協を生んでいくということです。だから、今の小さな妥協を拒絶、NOと言うことが何よりも大事だと思っています。

そして、このようなことを偉そうに書いていながら告白します。それは僕も日々、妥協しながら生きてしまっているということです。別にそれは酒を飲んでしまったとか煙草を吸ってしまったとか、浮気したいと思ったとか、そんなことではありません。

イエスキリストにあってNOと言う

日々生きる中で、腹が立った時に妥協してそのまま感情を放置してしまったり、言わないでいいことをこらえることができずに妥協して言ってしまった、などが日常的にあります。

だから、今日も悔い改めて祈ります。

「主よ、わたしはあなたから引き離そうとするすべてのことについて、イエスキリストにあってNOと言います。」

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