参加できないイベント
今年の4月から子供は幼稚園に行っています。幼稚園はキリスト教系ではないため入園前に園長先生に参加できないイベントなどは事前に話をしていました。園長先生も理解のある方でこの園を選んでよかったと思っています。
参加できないイベントとは、たとえば、七夕に願い事を書いたりとか子供の日の鯉のぼりとか運動会での神輿を担ぐなどです。嫁さんとも話し合って、そのイベントがある日は子供は幼稚園を休ませて他の楽しいところに連れて行くということになっています。
妥協の連鎖が続く
このような話をするとクリスチャンの中でも「やりすぎでは?」という意見も出てくると思います。「別にそれくらいしても大丈夫だろう」という意見もあるかもしれません。そして、そこまで気にしなくても別に大きな問題が起きるわけでもないじゃないか?という意見もあるでしょう。
実際に別に参加させたからと言って大きな問題は実際に起きないです。しかし、僕は身をもって知っています。それは「妥協が次の妥協を生む」ということです。「これくらいいいだろう」とか「そこまで気にしなくても」という妥協の連鎖が続いていくのです。
信じるなら徹底して信じる
もっとも、僕たち夫婦がこのような教育をするには理由があります。それは僕たち夫婦が保守的なクリスチャン家庭で育ったからです。礼拝以外に優先することがこの人生においてあるのか?という比較的厳格な家庭で育ちました。もちろん、当時は僕自身は未熟でそのありがたみをわかっていませんでした。
しかし、大人になった今、そのような家庭で育てられてよかったと僕は思っています。中途半端に信じるくらいなら信じないほうがいい。信じるなら徹底して信じる。それが親から教えられたことでした。僕はそのおかげで今のイエス様との関係があると思っています。
願わくば
ある人は「あなたがそう思っているだけで、子供が将来そう思うとは限らないよ」と言うかもしれません。それは確かにそうかもしれません。なぜなら、その子どもの信仰は決して親から継承できるものではなく、子供が個人的にイエス様に出会うかどうかにかかっているからです。もし、出会うことがなければ「親に無理やり信仰を押し付けられた」と思われるかもしれません。
だから、僕は自分を戒めます。自問します。
今日僕は徹底して信じているか?徹底して恵みの中を生きているか?そして、主の赦しを受けて願わくば、子供から見た時に「お父さんにはイエス様が共にいるのがわかる」と思われたいと祈っています。













