1172_礼拝後に言われた一言でイラっとしてしまった時

霊的な状態

信仰生活をしていると自分の霊的な状態が刻一刻と変わるのを感じます。どれだけ祈って力に満たされたと思っても心の平安が奪われるような話や出来事が起こってきます。どれだけ日曜日の礼拝で魂が恵まれたとしても、その次の瞬間からその恵まれた状態をなかったことにするような思いが心に起こってきます。

悪魔はクリスチャンが霊的に恵まれていることを憎みます。何とかしてその恵みの実を奪おうとしてくるものです。そのことを知ってそれに対して対応しないといけません。

先日の日曜日はまさにそのような出来事が起きました。礼拝で魂が恵まれたのに礼拝のあとの何気ない会話で僕は腹が立ってしまったのです。本当に情けないです。

礼拝直後の会話で

その日は嫁さんが午後から奉仕があったので、僕は子供と先に帰って昼ご飯を作って二人で食べる予定にしていました。そして、礼拝が終わって子供を抱っこして帰ろうと思ったら嫌がってお母さんのほうに行きました。それを見たある兄弟に「こどもはお母さんっこか?子供が嫌がって逃げてたやないか?」と言われて僕はイラっとしてしまったのです。

そのあと「やられた!」と思いました。僕はすぐに悔い改めの祈りをしました。「あの兄弟は悪気があってそういうことを言ったわけではありません。またむしろ、僕はもっと人をイラっとさせることを言ってしまっているような者です。どうかわたしの罪を赦してください。」

世に勝っているお方を見上げる

皆さんはそんなことはないかもしれませんが、僕はこのように恵まれた状態をすぐに失ってしまうような誘惑に負けてしまうことがあります。日常生活においては、どれだけ朝に濃密な主との時間を過ごして霊的に満たされたと思ったとしても仕事が終わって1日が終わるころには疲弊しきっていて、理性の働きも弱まり、霊的な緊張感が緩んでしまうことがあります。

この世ではこういった誘惑だけではなく、悩み、悲しみ、痛み、苦しみもあります。しかし、それはこの世の中で生きている以上、この世の中の影響をどうしても受け続けてしまうので当然のことです。だからこそイエス様が必要です。

あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。ヨハネ16:33

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