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すべてのことは主のゆるしの中でおこる
先日、緊急搬送されてから主の前に出ているときに今回の出来事の意味を教えてもらいました。なぜなら、クリスチャンはこのように考えているからです。それは、クリスチャンに何かが起こる時はすべて主がそれを許されたからであり、主がゆるさなければ、誰も何ものもクリスチャンに悪いことはできないと信じているからです。
僕は今回の出来事が自分にとってどういう意味があるのかを祈りつつ黙想しました。そこで3つの意味があると思ったので、ここに書いておこうと思います。
教えられたこと①
まず、僕は食生活を本当に変えないといけないと示されました。高熱が出て以来、必要程度の食事しか摂らないようにしていました。さらに健康診断も重なっていたので、胃に負担をかけないということを久しぶりに体験しました。これまでは食べたいものを食べ、飲みたいものを飲む生活をしてきました。特に揚げ物などを好んで食べていたので、それをやめるときだと思いました。
なぜなら、僕は今年の目標に断食祈祷を入れておきながら、まだ実践できていなかったからです。断食祈祷をする前にまず自分の食生活を改めることによって、断食祈祷に向けて準備をするのだと教えられました。
教えられたこと②
次は、実際の熱中症の症状からです。今回は両手が硬直、両足がこむら返りで激痛、つまり、自分自身では動けない状態になったのです。四肢の制御ができない状態がこんなにも苦痛で大変なことだとは思いもよりませんでした。当日はパンツも履かずに倒れていて、奥さんがパンツ履ける?って聞いてきましたが、両手が使えないし、両足も激痛で動かせないので、パンツすら自分で履けなかったのです。
両手両足が普段何の支障もなく使えているのは当たり前ではないと体験を通して痛感しました。本当に四肢を制御できなるなる体験は僕にとって恐ろしいことでした。この四肢は日常生活の隅々において神様によって制御していただき用いていただく必要があると教えられました。
教えられたこと③
最後は、霊的に四肢が仕えない状態を比喩的に体験したことです。キリストによって霊が死んだ状態だと、様々なものに縛られて生きている事が多いです。それが自覚・無自覚にしろ、人はおおよそ何かに、それが精神的なものであれ、思想であれ、考えであれ、縛られて生きているものです。僕はそれはキリストの救いによってはじめて解放されるものだと信じていますが、その霊的に縛られている状態の苦痛を肉体を通して知ったのです。
最近、暗唱聖句のリストの入れた御言にこのような言葉がありました。
わたしが選ぶところの断食は、
悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、
しえたげられる者を放ち去らせ、
すべてのくびきを折るなどの事ではないか。
イザヤ58:6
僕は断食祈祷を目標に入れていますが、それをする目的は自分自身の満たしではなく、霊的に縛られている人たちが解放されるためだと思いました。今回の件を通して本当に危機感を覚えたほどです。そのために祈りたいと思います。