0646_人は裸で生まれて、裸で帰っていく

持つこと

以前は「持つ」ということが怖いと思っていました。なぜなら、持ってしまった以上、いずれ失うからです。それは可能性の話ではなくて、100%の話です。厳然な事実として、物質的なもの精神的なものすべてはいずれ失われます。家族、健康、仕事、家、車など精神的な支えから物質的な豊かさまで、すべては一時的に持っているだけです。

途中で失う場合もあれば、最終的に失う場合もあります。後者は最終的に人間が死ぬ時に訪れます。よく一番強い人は失う物がない人と言ったりしますが、「持っていない」という状態は失うおそれがないのかもしれません。

強い人とは?

以前は持つことは怖いと思っていましたが、今は思わなくなりました。その理由としては、今持っているものが与えられているものであって、それは一時的なものだという認識があるからです。

神がすべてを与えてくださっています。だから、僕はそれに固執しないように祈っています。それは神のものであり、ただたんに僕に管理を任せられているからです。そして、今与えられているものはこの地上限定のものであって、天の故郷には持っていくものではないからです。

聖書にあるように、「人は裸で生まれて、裸で帰っていく」のです。そして、この肉体は朽ちて土に帰っていくでしょう。しかし、自分の生かされた魂だけが永遠に残るのです。

知識には限界がある

もちろん、上記はただの知識にすぎません。ある人にとっては戯言でしょうし、ある人にとっては希望でしょう。それが最終的に真実であったかどうかは今はわからないのです。しかし、わからないから、わらにもすがる思いだから気休めに信じるというのは、とても悲しいことです。それは本当の希望ではないと思います。

キリストの真理は、キリストを得る時に訪れます。この地上の物は持たなくていいのですが、ただ「キリストだけは持つ」必要があります。その時に、今持っているものを手放さないといけない決断に迫られることでしょう。しかし、それを手放した時に、キリストの絶大な価値と永遠の命を知るのです。

持つべきもの

そうなると、「キリストさえ持っていれば何も怖くない」状態になるのです。人間を創造された天の父こそが子の必要をすべてご存知です。だからこそ、天の父はイエス・キリストを人類に送ってくださったのです。すべての必要はイエス・キリストのところにあります。そして、そこから本当の満たしがあり、平安があるのです。

2023年はどのような1年になるかわかりません。不安定、不確実な時代にあって、堅牢であり、確実なイエス様にすがっていきたいです。

おっさん
■すべてを手放そう

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