0563_教会の友人の結婚式に参列しておもったこと

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神と家族

先日、教会の友人の結婚式に参加しました。僕が17歳くらいの時に彼はまだ9歳くらいだったので、かれこれ20年近くの付き合いになります。その間、年齢に応じて色々な関係がありました。彼がまだ小学生だった時は僕が年上のお兄さん的な位置づけて一緒に遊びに行ったりしていました。

今でも覚えているのが、彼が小学生の時に目を輝かせて「〇〇君(ぼく)が人前でおならをこいているの見て、それが初めて恥ずかしいことではなく面白いことっていうことを知った」というようなことをゆっていました。本当に申し訳ないです。

信仰の友

のちのち、彼が高校生や大学生くらいになると真剣に信仰のことを話したり、相談したりするような信仰の友のような存在になりました。特に僕が3年間中国にいた時は、2回ほど会いに来てくれて冒険的に中国を旅行したりととても濃密な時間を過ごすことができました。

そして、あんなに小さかった彼も社会人となり、いよいよ結婚して家庭を築くというのです。

特別な関係

彼の結婚式には100名以上が参加していて、親族をはじめ会社の人、高校大学の友人、教会の人などが参加していました。その中で最も関係が長いのはもちろん親族の方々ですが、その次は教会の人になります。

教会では毎週必ず1回以上は顔を会わせます。さらに、各種教会のイベントやキャンプなどで神様が共にいてくださっている恵みの時間を共に体験している仲でもあります。もちろん、小さい頃から進学し、成人し、就職するのをぜんぶ見てきています。このように小さい頃から今まで自分のことを知っている人がいるというのは何にも変えられない恵みであり、感謝だと思いました。

ありのままの存在を受け入れてくれる人たち

僕自身もこの結婚式で久しぶりに会う教会の人が複数いたのですが、同窓会的にも楽しむことができました。僕のことを知り尽くされている人ばかりなので、コミュニケーションがとても楽です。僕が自虐ネタを走らせても、「ネタじゃなくて本当にそうだしね」みたいな感じでありのままの僕を受け入れてくれます。変に気をつかわれて「そんなことないよ~」みたいな感じで否定されないのがすごく嬉しいです。

とても感謝だと思うのは神様が教会という恵みに溢れた特別な場所において、様々な人と出会わせてくださったということです。そして、教会に神様がご臨在してくださっていて、みなともどもに神様を礼拝し、賛美し、祈る関係を築くことができたことです。こういった人たちは世の中には絶対にいないので、恵みの他ありません。

これからも教会の人たちとの関係を大切にしていくとともに、これから教会に来る人達にとって教会がそのような場所であり続けられるように祈り続けたいです。

おっさん
■神の家族は神が与えてくださった恵みのほかない

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