0202_刺激と反応の間にキリストを入れること

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反応は選択できる?

7つの習慣には、刺激と反応の間には、隙間があり、その隙間で私達がどういった反応をするかを「選択」できると教えています。つまり、今自分が悲しんでいるのは悲しむことを自分が選んでいるからというのです。

僕はこういった教えを7つの習慣を読む前から知っていました。聖書には「喜びなさい、繰り返していうが喜びなさい」とあります。また、「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」という言葉もあります。僕は若い頃、そんな事到底できるかと思っていました。なぜなら、悲しいや辛いといった感情は、事実、僕の中に明確に存在しており、それを否定することはできないと考えたからです。

しかし、聖書の教えはただのポジティブ思考でないことに気づきました。聖書の教えは、「キリストにあって」という枕詞が付きます。つまり、「キリストにあって、喜びなさい」ということです。喜べない毎日かもしれません。しかし、その時に、「イエス様、私は今喜べないんです。悲しいです。私を救ってください。」と祈るならば、イエス・キリストがあなたの心の中に来てくださり、キリストにある慰めと平安がやってきて、インマヌエルの神、神が共にいることに喜べるようになるでしょう。

キリストにあって

僕はこれまでの人生で、体験的にそうだと明確に言えることができます。イエス・キリストは今も生きておられて求める者に必ず出会ってくださるお方です。そして、何にも代えがたいキリストの喜びを与えてくださるのです。「あなたの前には満ち溢れる喜びがある」のです。

そして、「キリストにあって」物事を解釈することができるのです。自分の目で見たら、辛い仕事、やりたくない仕事、会いたくない人、将来が見えない、やっても無駄など否定的な言葉がとめどもなく溢れてくるかもしれません。

しかし、「キリストにあって」物事を見るならば、変わってくるでしょう。仕事があることが感謝、この仕事から学ぶことがある、この仕事をすると感謝してくれる人がいる、与えられて遣わされている職場、将来は神様の手の中にある、など神様が励ましてくださるのです。

恵み・謙遜・感謝

しかし、ただ単にポジティブに解釈するだけなら、神は不要でしょう。最大の恵みは感謝するお方がいるということです。そして、キリストにあって、すべてが恵みであることに気づくことができ、低く低く生きることができるようになり、すべてをキリストに感謝して生きていくことができるようになるのです。もう仕事の愚痴をいう古い人間は十字架につけられて葬られたのです!

だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
コリントⅡ5:17