1093_こどもの成長と共に変わった自分の祈り

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子供との祈り

子どもを毎朝保育園に送り届けるのが僕の役割なのですが、行く前に必ず声に出して祈るようにしています。もちろん、こどもはまだ1歳半ほどなので祈る言葉は理解できませんが、お祈りが終わってアーメンというときにすごくニコっとしてくれます。

保育園に行くようになってからまもなく10か月が経過するのですが、その間で祈る言葉がだいぶ変わってきたように思います。最初の数か月は保育園の洗礼を受けて、あらゆるウイルスや風邪にかかることが多かったので守られるように祈ることが多かったです。

次第に変わった祈りの言葉

次第に保育園に行っても病気にならないようになってきてからはだいたい要約すると毎朝このように祈っていました。

おっさん
どうか、今日もあなたが共にいてくださって、お友達や先生と仲良くし、いっぱい遊び、いっぱい学び楽しく過ごすことができますように

しかし、途中から祈りがこのように変わりました。

おっさん
今日もあなたが共にいてくださって、お友達や先生と仲良くし、いっぱい遊び、いっぱい学び楽しく過ごすことができますから感謝します。

自分の祈りの言葉を振り返るとよくわかるのですが、「どうか~」とか「~ますように」とか「~してください」という言葉が非常に多いことに気が付きました。もちろん、これらの言葉は悪いわけではなく、願いと祈りをささげることを求める神様が聞いてくださるものです。

今の祈り

しかし、天の父が共にいてくだって必ず祈りを聞いてくださるのがわかっていれば、「どうか~」とか「~ますように」とか言わなくてもいいんだと思うようになりました。

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
マタイ 6:32

そして、最近はこのように祈るようになりました。

おっさん
私たちには今日もあなたが必要です。あなたがいてくださるから安心、安全、感謝で大丈夫です。

天の父

よく言葉は行動につながり、行動は性格につながり、性格は人格につながり、人格が人生を作るというような言葉がありますが、同じように祈る言葉が信仰生活における行動につながるのだと思いました。確かに「~してください」という祈りもいいと思います。しかし、子供が両親に全幅の信頼を置いていて、「今日も朝ごはんをくださいますように」と両親にお願いしないように、クリスチャンも天の父に全幅の信頼をおいてもいいのだと思いました。

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