1380_憤りで始まった一年は感謝と喜びで終わった

昨年末から今年の新年

昨年末から今年の新年は憤りと非常な後悔で始まりました。

1011_2023年12月31日は僕のせいで嫁さんと険悪なムードで迎えた

それは、僕が苦手だと思いこんでいる人からの言葉で腹を立ててしまったからです。これまでも「嫌だなぁ」と思うことは多々あったのですが、僕はその感情を放置してしまっていました。マグマのように溜まってしまっていたのです。そして、閾値を超えて一気に噴火してしまったのでした。

すべき行動は?

こういった状況下での正しい行動はこういったものになります。まず、主にあって苦手な人はいないということを告白することです。それは苦手だと思えば本当に苦手になってしまうからです。そして、負の感情が芽生えたら即悔い改めをしなければなりません。僕はこの二つの施策を取らなかったのです。だからマグマが噴火するのは遅かれ早かれの問題だったのです。

だから今年のチャレンジはその人を心から受け入れること、愛すること、協力すること、祝福を祈ることでした。

合理的な理由で納得したら厳しい

クリスチャンは誰でも主から誰も赦しえなかった罪を赦してもらっているので、誰をも赦せる立場にない者です。しかし、人は往々にして人を赦す・許さない権限があると思いこんでいます。非常に合理的な理由をつけて「あの人は〇〇だから」と裁くのです。

しかし、強調すべきは、人は誰をも赦せる立場にない者です。肉は合理的な理由付けが得意です。もし、その理由づけて納得してしまったら、僕みたいに悔い改めを放置する結果になってしまい問題が大きくなってしまいます。

悔い改めからはじまるもの

僕はまず赦す・赦さないの権限は持っていないことを主の前に認めて悔い改めました。しかし、それで終わりでありません。ある時、ある人がその人に対して不利な言葉を言っている場面がありました。僕はそれに乗らずその人を弁護する言葉を言いました。

また協力すべき場面などがありました。時間を捻出しないといけないと思いましたが、祈ると協力したいという気持ちが湧いてきました。また、ある時は主がその人を祝福するように言われました。僕は祈りの中でその人の名前をあげて祝福する祈りをしました。

イエス様は本物

そういったチャレンジを受けた一年だったのですが、なんと、僕は本当に主にあってその人が苦手じゃなくなったのです。当たり前ですが、僕は改めてイエス様は本物だと思いました。主が共にいてくださったら僕も主のご性質に与れることを体験した一年でした。

もちろん、僕はまだまだ肉が強いので主のご性質に与れているのはほんのごく一部だけだと思います。しかし、もし悔い改めで主と共に歩むことを選択し続けるならば主は造り変えてくださるお方だと思いました。

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