祈りの神殿を立て直す
この1年くらいは自身の祈りの神殿を立て直すということを自身の課題として取り組んできました。
0502_シロアリが巣食う家屋のごとくにボロボロになった祈りの神殿
1044_祈りは自発的にするものだ!1時間とか強制的にやるのは律法主義だ!?
まずは、日常から祈りの時間を天引きすること、祈りの場所を確保することから取り組みはじめました。次はどのような態度で祈りの望むべきなのか?どのように主に集中したらいいのか?を祈りつつ求め続けていました。
そうするうちに、身体的にも精神的にも霊的にも徹底的に弱くされる過程を通して、嘘偽りのない悔い改めをするようになりました。それから、自身の祈りが少しずつ変わってきたように思います。
悔い改めは自身を無力化
これまでも祈りの中で御言を宣言したり告白したり賛美していましたが、どこか宣言に力がないことを感じていました。しかし、悔い改めは自身を無力化してくれました。それは自然に主権は主にあること力は主にあることを僕に確信させたと思います。
祈りの質が上がり、深みが出てくると、祈りの場所が増え集中できる時間が長くなるようになりました。これまでであれば、家であっても祈りの場所は自身の部屋くらいでしたが、お風呂場であったり、筋トレ部屋であったり、あるいはオフィスであったり、ぐっと集中してどこででも祈れるようになってきました。
祈りによって自分の霊性が高められる
祈りが少しずつ自分には絶対的に欠かせないものであることを魂の深いところで実感するにつれ、自身の霊的生活(デボーション)において祈りの比重が大きくなってきたように思います。僕個人としては、祈りこそが自分の力だ!と思うようになったのですが、実際は祈りだけがすべてじゃありませんでした。
それは結局は御言こそが神様の声であり御心であり、神さまご自身だということです。
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
ヨハネ1:1
祈りによって自分の霊性が高められますが、御言によっても全く同じように霊性が高められ、主とコミュニケーションをすることができるということです。
御言を受け止める、応答する、実行する
御言は神様からの語り掛けであり、それを読むだけなら一方通行のコミュニケーションになってしまいます。しかし、御言を読んで応答する時にそれが双方向のコミュニケーションになり神様が喜んでくださることなのだと知るようになりました。
これまでは読み、暗唱することに重点をおいてきましたが、御言を受け止める、応答する、実行するということに焦点を当ててそれが自然とできるようになることを目指したいと思っています。