けしからん!
昨日、僕は聖書を読んでいてわからない時にGPTに聞いて補助的に利用していることを書きました。この利用方法には賛否両論があると思います。多くの教職者、先生、クリスチャンの方は「けしからん!聖書のことをAIに聞くなんて!」と思われると思います。僕はその反応が正常だと思っています。なぜなら、僕自身AIに対して否定的であり、AIを過信しておらず、むしろ、これから将来において、正の側面よりも負の側面を心配しているからです。
ではそれでも、僕が補助的に使う理由はなんでしょうか?ポジティブな側面でいえば、聖書の理解が進み、学びが促進されます。ネガティブな側面でいえば、間違ったことを回答する可能性があり、間違った信仰になってしまうということがありえます。
聖書は霊で読むもの
僕が強調したいことは「学びが促進される」という一点です。なぜなら、そもそも、僕はこのブログで何度も「聖書は霊で読むもの」ということを何度も書いてきました。
聖書は確かに知性で読むことができます。そして、知識を得ることができます。そういった読み方は誰にでもできます。しかし、霊で読む方法は救われたクリスチャンにしかできません。もし聖書から命を得たいのであれば、へりくだって御霊の導きに従って霊によって読むほかありません。
知的な存在
それが大前提です。しかし、人間は霊的な存在であり、かつ知的な存在でもあります。僕が伝えたいことは聖書に対する霊的な理解と知的な理解どちらも大切だということです。なぜなら、霊的理解は御霊の働きが必要です。また信仰も必要です。しかし知的理解は信仰がない人でも理解できる形で伝達することができます。
聖書に対する知的理解を促進するためにはGPTは有益であるということを書きたかったです。もちろん、何度も書いているように間違った回答がなされる場合があり、すべてをうのみにすることはできません。だから、利用する僕は気を付けなくてはいけません。
もっと変になったら教えてください
既に僕は変なことばかりを書く変人クリスチャン認定されているのかもしれません。もし皆さんが「こいつ最近変なことばかり書くな」とか「いよいよ信仰に関して大胆に道それてきた」とか「これは完全に異端だわ」と思われることがあったら、教えて頂けますと幸いです。