1127_中国のクリスチャンコミュニティで無茶振りされてイラっとした時のこと

先生からの無茶振り

先日、中国のクリスチャンのコミュニティーに参加しました。おおよそ、毎月1回開催されており、自己紹介や証の時間や説教があって、最後にお互いのために祈りあって終わります。前回は僕は証をするように言われていたので、準備をして祈って備えましたが、今回は何の役も当たっていなかったので、受け身で祈らずに参加したのでした。

が、しかし、今回の交流会のプログラムを先生が説明している時に、「今日も〇〇君(僕の名前)に証をしていただきます。」と言われたのでした。僕は祈って準備もしていないし、そもそも前回使ったパワポも資料もすぐに出せるかもわからなかったので、焦るどころか先生の無茶振りに怒りすら覚えてしまいました。

準備をしないと何もできない

「えぇ!いきなり言われても」とは言いましたが、やらない理由はないのでやるしかありません。急いで過去の資料を捜しだしてPPTを用意しました。他の方が自己紹介されている時間も無茶振りされたことに対するいら立ちがなくなりませんでした。

そもそも、僕は臨機応変に何かできるタイプではなく固定的な人間で、急に何かをするというのができません。頭の切り替えからそれに向けてモードを切り替えるののにも、数秒ではできないのです。仕事をするにもデスクに座ってさぁ仕事というよりは、1時間くらい前から少しずつ仕事のモードに切り替えていってようやく仕事ができる感じです。そういう人間が急に言われてできるわけがないのです。

悔い改めるしかない

しかし、こんな汚い心の状態で証なんてできるはずがありません。こんな汚い心で証をするくらいならやらないほうがましです。しかし、やるしかないのです。ここからは自分に死ぬ作業でした。

「僕は無茶振りされてイライラしてしまいました。しかし、この証はあなたの助けなしにはできません。どうかこの者をゆるしてくださって、あなたが語ってくださいますように。」

完全に心を主の前にひれ伏すしかありませんでした。

主がなされたこと

いざ証をする時間になって語り始めました。語っている時に僕は気づきました。証をしている自分の魂が次第に元気になり、恵まれ始めていたのです。語った時には自分が救われたことに対してイエス様に感謝の気持ちしかありませんでした。掃き溜めにいたような、どうしようもない自分を主が憐れんでくださったことが思い出されたのです。

それを聞いていたコミュニティーの方が「証を聞いて泣けてくる」とおっしゃっていました。これは完全にイエス様がされたことだと思いました。僕は依然としてクズですが、主はクズをも愛してくださって用いてくださることに感謝を覚えました。

いつでも備えておく

ないよりも、聖書にはいつでもだれに対しても証ができるようにとありますが、自分自身の心の状態を整えておいて、いつでも証ができる状態にしないといけないとも教えられました。

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