1823_信仰の天外内 | 内向きから変わるために

人に関心があるか?

昨日は「今自分の信仰はどのような状態にあるのか?」を確認するための「自分は今何にひかれているのか?」と自問することで自分の宝が何なのかが明らかになると書きました。今日は別の指標について書こうと思います。

それは「人に関心があるか?」です。この自問は守備範囲が非常に広いです。なぜなら、愛の反対は無関心だからです。人に関心がないならそれは愛がないということです。そして、なにより福音宣教は人に対する関心から始まるからです。

主の心から離れてしまっている

もしクリスチャンとして人に関心があれば人に会おうとしますし、伝道しようとします。また、その人たちのために祈ろうとします。しかし、その逆だったら、それは主の愛を受けられないほど心が硬化している可能性があります。

これは誰かのことを書いているのではなくて自分の今の状態について書いています。もし僕がとりなしの祈りをしなくなったらそれは僕が主の心から離れてしまっていることの証拠です。

最大限の関心

なぜなら、主はまずこの私に対して最大限の関心を持ってくださって命を捨てるほどにかかわろうとしてくださったからです。救われた時にそれを受け入れたとしても、日々、その愛を受けいれる心はクリスチャンに必要です。そうでないと心は硬化してしまいます。主の愛がわからなくなってしまいます。

そうすると、次第に主の愛がなくなり、感動がなくなり、とりなしの祈りをしなくなり、人に関心がなくなってしまいます。

天外内の順番

ある先生はこのようなことを言っていました。それは「信仰生活は天外内の順番であるべきだ」というものです。天とは神様との交わりです。まず最初にそれが必要です。次に必要なのが外に出て行くことです。外に出て行けるのは主が愛があるからです。

外に出ていけば苦しいこともあるでしょう。嫌なこともあるでしょう。しかし、そうすることで次は方向が内に向くというのです。つまり、この聖書の御言どおりです。

ローマ人への手紙 5:3-4
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

外に出て行く

外に出て行くことによって内側が練られるのです。昨年2025年は人に会うことがテーマでしたが、今年もこのテーマで歩んでいきたいと思います。

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