違和感のあるトレーニング
先日このような夢を見ました。僕が時々Youtubeで見ているフィットネス系のムキムキのユーチューバーと一緒に筋トレしているのでした。しかもそのユーチューバーが僕専属のパーソナルトレーナーとして僕の筋トレのサポートをしてくれていたのです。
一見、ありがたい?夢のようにも見えますが、違和感のあるところがありました。なぜなら、そのトレーナーは全くといっていいほど僕に負荷をかけてくれなかったからです。
マシンでのトレーニング
僕は自宅でしかトレーニングをしていないので、マシンを使った高負荷がかけられるトレーニングに憧れていました。しかし、トレーナーは確かにマシンを使ってはくれますが、本来なら50kgほど持ち上げられるものであっても10kgほどの重りしかつけてくれなかったのです。
トレーナー自身はムキムキなのになぜ負荷をかけてくれないんだろうと不思議に思いました。そんなことでかなり不完全燃焼気味で夢の中のトレーニングを終えました。
肉体的な負荷
夢から覚めてからこの夢にはどのような意味があったのだろうかと思い巡らせていたところ、一つの思いが沸き起こりました。最初に書いておくと、僕が勝手に思いついたことで神様の語りかけや啓示とか深くはとらえていません。
その思いとはこういうものでした。僕は自分の肉体に関しては強い負荷を求めて成長を強く望んでいるのに、こと魂の領域になるとそれを拒否していたということでした。つまり、魂を成長させてくれる神様が通らせてくださる荒野や谷の道を強く望んでいないと感じたのです。
霊的な負荷
これはとても不思議なことです。なぜなら見えるものにではなく見えないものに目を注ぐ生き方をしていると言っているにもかかわらず、僕の生き方は見えるものに注力していることが明らかになったからです。
この世でいずれ朽ちる肉体の成長に必要な負荷は求めるのに、永遠に残る魂の成長に必要な負荷は求めていなかったのです。魂の成長に必要なものは、ずばり、へりくだりしかありません。そして、へりくだりとは自我の否定、自分の欲求の否定、肉の欲望を捨てることなどが含まれます。
へりくだりの道
へりくだりは正直つらい道です。へりくだりたいと思っていても、すぐに自分はこうだどうだという自分を守る気持ちが出てきてしまいます。そのへりくだりの道こそが神の御心に沿った自分にとって最も幸いな道なので、へりくだりの道を歩んでいけるように祈りたいです。