0767_2023年の目標であった仮説が実証されつつある

2023年の目標

2023年の目標にこのようなものを立てていました。

2023年をどう生きるかを祈ったり考えたりする中で、こういった言葉が浮かんできました。「イエス・キリストにすべての満たしがあるのであれば、この世のものに心が惹かれることはなくなる。」これは僕にとっては仮説ですが、ほかのクリスチャンたちは既に実体験として実証しているかもしれません。

0547_ある仮説を実証するのが2023年の目標

これまで、意識的にSNSのアカウントを削除したり、余計なコンテンツを見ないようにするなど、様々な工夫をしてきました。それによって、意外にSNSとかいったものは人生を豊かにするどころか、全く逆の作用をすることに気づきました。

大人になるにつれて

しかし、それでもなお、「イエス・キリストにすべての満たしがあるのであれば、この世のものに心が惹かれることはなくなる。」という状態がわからないでいました。もちろん、イエス様に出会った十代の頃はその気持ちを抱いていました。しかし、成長するにつれ、そういった気持ちが自分の中から失われてしまっていたのです。

子どもの頃は、地位とか名誉とか富とかよくわかっていなかったのですが、自分の成長とともに自分の罪を起点として、自分も決して地位とか名誉とか富とかへの欲望とは切り離されていないと気づくようになりました。

二心の者

いわば、「イエス様も求めていますが、この世も求めている」という状態だったのです。ヤコブの手紙でいう、二心の者でした。正直、この地上で社会人として生きていくにはこれくらいの娯楽は必要だねとか、こういった知識も役に立つよね、と自分に対して言い訳をしてこの世のものも許容してしまっていました。

しかし、複数の環境の変化や教会内での責任も変わったことにより、神様に頼らざるを得ないことがかなり多くなってきました。正直、自分の力で生きつつ、主により頼んで生きることなどできないことに気づいたのです。

色褪せて見えるようになった

今では少しづつ、神様との関係が回復されてきました。そして、それは「やらなければならないから」やるのではなくて、自発的に、もっと神様と交わりたい、また、もっと神様が他の人に愛を示されていることを、神の働きと共に体験したいと強く願うようになりました。

そうなった時に、キリストの栄光と交わりの光の強さに比べたら、自分が今まで好きだった娯楽とか趣味とかが色褪せて見えるようになったのです。もちろん、それらを完全に断つというようなことはしていませんが、自然と以前のように興味がわかなくなっていることに気づいたのです。

まだまだ「イエス・キリストにすべての満たしがあるのであれば、この世のものに心が惹かれることはなくなる。」という状態には遠いと思いますが、キリストにあってできると信じています。

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