ワクチン3回目接種
先日ブースター接種を受けて不覚にも高熱にやられてしまいました。接種後12時間はちょっと眠いかなくらいだったのですが、夜なると次第に体温が上昇していき、39度台まで上昇し完全に高熱にうなされました。翌日になっても38度台をキープしていましたが、発熱から24時間後には体温は正常値に戻り、その後24時間ほどは関節の節々が痛みましたが、その他の症状は確認されていません。
これから年度末・年始、花見の季節から一ヵ月でゴールデンウィークとイベント、祭日が多くなります。天気もいよいよ陽気になるにもかかわらず、まん延防止等重点措置が解除されたので、再び感染が拡大しないか不安ではありますが、まずは自身が気を抜かずに生活をしつつ、祈りたいと思います。
人間はいずれ慣れる
正直、ここ一ヵ月ほどはニュースがウクライナ情勢一辺倒で、ここ数週間は円安で騒いでおり、コロナのニュースが影を潜めているように感じています。感染者数は全国で、まだまだ高い水準にあるのですが、他のニュースで国民の認知が占有されていることをいいことにまん防を解除しなのかなと思っています。
重症化しにくいとはいえ、後遺症などや生活の不自由さを考えると、個人的には従来と同じレベルでの警戒が必要だと思います。しかし、人間の本能は生き延びるために適応していくので、それも難しいことだと思います。もし、コロナ以上の脅威的な感染症が広まったとしても、そして、仮に戦争が起こったとしても、人間は恐ろしいことにそれに慣れていくのです。
例えば、第二次世界大戦が勃発してから、多くの人々は瞬く間に恐怖のどん底に突き落とされましたが、次第に、新聞の死亡名簿を見て、知人の名前がないかを探すのが習慣になるほど、戦争による死が当たり前になるのそうです。
慣れて諦めてしまっていること
もしかしたら、自分たちの周りにも、長い間同じ環境にいるがゆえに、慣れてはいけないことに気づかずに慣れてしまっていることがあるかもしれません。例えば、「どうせ〇〇だから」とか「〇〇は昔からこうだから」とかです。鎖につながれた象の寓話のように思いこんでしまっているかもしれないのです。
僕はもしかしたら、「どうせイエス・キリストによる奇跡はあまり起こらない」、あるいは「ほとんど起こらない」のような曖昧な言葉でイエス・キリストの力を制限してしまっているかもしれません。もしくは「〇〇先生が祈れば~」とか「〇〇先生が語れば~」のように思いこんでいるかもしれません。今の自分にとっての当たり前が聖書にとって当たり前でない、この事実を認識して、悔い改めないと思わされました。
■また、人間は自己防衛の本能が働いてコロナ以上の脅威的な感染症が発生しても慣れてしまうだろう
■もしかしたら、自分の周りのことでも慣れてしまっているがゆえに、「どうせ〇〇だから」と諦めていることがあるかもしれない