同じ空洞を共用
先日、ブログでこのようなことを書きました。
驚くべきことに肉と霊は同じ空洞を共用しています。つまり、肉において空洞を満たしてしまった場合、霊における餓え渇きがなくなってしまうのです。これが「祈れないこと」の本質です。
このことに思いをはせていた時に別の御言を思い出しました。
マタイによる福音書 6:24
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
空洞は残されていない
なぜふたりの主人に仕えることができないのでしょうか?もちろん、御言にあるように愛するか?疎んじるか?の気持ちや心の問題でもあると思います。しかし、別の表現を使えば、それは空洞を共用しているからなのではないか?と思ったのです。
つまり、一人の主人に仕える時に空洞は満たされます。その時に別のもう一人の主人用の空洞は残されていないのです。その結果、他方を疎んじるようになります。どうでもよくなるのです。もう入る余地がないのです。
この記事とつながる読みもの
イエス様を疎んじるようになる
僕はこのような状況になる自分をよく知っています。それは、この世や自分大好き!という主人に仕える時に、正直に書けば「イエス様なんてどうでもいい」と思う心が沸いてくるのです。これは言葉にすれば非常に露骨で恐ろしいことですが、実際に僕の心に起こっていることです。
この世のもので自分を満たすとき、自分を喜ばせようとするとき、そこに主のための空洞はもう残されていないのです。その結果、イエス様を疎んじるようになります。どうでもよくなるのです。もう入る余地がないのです。
御霊によって歩きなさい
だから御言を引用します。
ガラテヤ人への手紙 5:16
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜ、この世で勝利できないのでしょうか?なぜ、何度も同じ失敗を繰り返すのでしょうか?なぜ、クリスチャンとして成長しないのでしょうか?なぜ、古い自分は全く変わらないのでしょうか?なぜ、この世で生きる人同じように生きているのでしょうか?これらの問いの答えはこの御言に集約されています。
御霊に満たされる時、空洞にこの世のものが入る余地がなくなります。御霊によって歩くことが勝利の秘訣です。と自分に言い聞かせます。
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