霊で読む
このブログで一貫して書いている聖書の読み方は「霊で読む」ということです。確かに頭でも読むことはできますが、それだと神が霊であることとの関係がなくなってしまいます。ワインは舌で味わうだけでなく、頭で飲むものであるように聖書も頭で味わるだけではなく霊でも味わうべきものです。
霊で味わうという表現をする時にレーマは避けて通れません。これについては賛否両論あるみたいです。しかし、僕はレーマと言わなくても聖霊により御言が活性化されて生きた言葉として自分に入ってくるという体験は当然あると思っています。
実体を持つ
聖霊により御言が実体を持つようになるのです。それはオブジェクト指向のプログラミングの思想と似ています。クラスというコードで書かれた設計図は存在していますが、それが実体を持つのはNewされた時なのです。Newされた時に初めてそのコードがメモリ上に実態を持つのです。御言もそれと同じです。そして、御言が確信と信仰につながります。まさに聖書に書いてあるとおりです。
ローマ人への手紙 10:17
したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。
信仰とは思いこみではありません。また盲信でもありません。また信じれているかどうかわからないけど、おそらく信じているのだろうというようなものでもありません。信仰の前には必ずキリストの言葉、つまり聖書の言葉があります。その御言が聖霊によって活性化する時に心の中に信仰、確信が沸き上がってきます。
御言を宣言
僕はずっと平日の信仰について試行錯誤し悪戦苦闘してきました。最初は全くうまくいかなかったのです。すぐに日常の引力引かれてしまい「祈るのも聖書を読むのも面倒だ。YouTubeを観よう。」となっていたのです。しかし、御言を宣言するようになってから少しずつ変わってきました。
聖書を読んで宣言、暗唱ノートを見て宣言、机の上に張ってあるいつもの宣言、その他、信仰書などを使って宣言するようになった時に、自分の信仰が揺るがなくなってきていることに気づいたのです。もちろん、毎回宣言するたびに、感情的に昂ったり、何かを感じるとかそういったわけではありません。しかし、御言を宣言する時に魂に良い影響が与えられているのを感じるのです。
垂直立ち上げする方法
信仰が不安定、あるいは浮き沈みが激しい、落ちている。そのような状況の時に垂直立ち上げする方法は御言を宣言することだと思います。それにはエネルギーが要ります。しかし、もし立ち上がりたい思いがあるなら、主はそのエネルギーも与えてくださると信じています。













