1943_二心の者でいることのメリット | 霊的な戦いがないが勝利もない

クリスチャン生活を送っていて明らかにわかることがあります。それはヤコブの手紙に書いてあり、またエリヤが語ったように「二心の者」でいる間はほとんど少しも霊的な戦いがないということです。

列王紀上 18:21
そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。

ヤコブの手紙 1:8
そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

僕は救われて以降、長い間そのような状態で生きてきました。そして今もなお、その戦いの中にいます。ともすればクリスチャンは「自分のしたいこと」と「主に喜ばれること」二つを両立させることこそが、生きやすいと勘違いしてしまうのです。

自分のしたいこと

「自分のしたいこと」とは自分を喜ばせる生き方です。それは自分が主人になっているということです。それに対してイエス様はこのように言っています。

マタイによる福音書 6:24
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

自分が主人であることを優先している時は、他方を疎んじていることになります。疎んじられると誰でも悲しくなります。神様は人格を持ったお方で確かに深く悲しまれます。本当は24時間、365日僕たちと共に歩みたいと願っておられます。それは神様の僕たちへの愛が途方もないから。そして、なにより、それこそが幸いな生き方だからです。

霊的な戦い

しかし、一度「主と共に生きる!」と決意した瞬間から霊的な戦いが始まります。それはサタンや悪魔や悪の勢力と言ったものは僕たちが神様と共に歩むことを嫉むからです。二心の者として生きていた時よりも、時にしんどく感じることがあるかもしれません。時に割りに合わないと思うことがあるかもしれません。

また、教会生活を送っているとどうしても人を見てしまい、躓くこともあるかもしれません。(しかし実際は自分こそが多くの人を躓かせていることのほうが多いです。)

その時に「堅苦しい、しんどい、割りに合わない」と思って途中であきらめるなら、そこで再び二心の者に戻ってしまいます。僕は残念ながら圧倒的勝利には程遠く、ほとんど毎日のようにこの戦いの中にいるような者です。

だからこそ、こんなことを書いて自分を鼓舞させようとしているのです。

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