恐ろしい夢
先日とても恐ろしい夢を見ました。内容は今は全く思い出せないのですが、自分の罪が主の前にいかに絶望的であるかということを深いレベルで体験する夢でした。それは救われる前、また救われた後も犯してきた罪が含まれます。
僕は自分に自分の罪を軽くみてしまう傾向があうことを知っています。たとえ、罪を犯すことがあったとしても悔い改めて十字架の赦しを受ければ何度でも赦してもらえるという甘えの心が僕にあることを知っています。
主の前に立った時
しかし、先日見た夢はそういった甘えを震え縮こまらせるような畏れを僕に起させました。そして、その夢をみた翌日も同じように内容は全く覚えていないのですが、これもまた怖い夢をみたのです。これは主からのメッセージだと思い、僕は今もそのことに思いを巡らせています。
主を畏れることに関しては聖書にいくつか記述があります。有名な箇所は預言者イザヤが主の前に立った時です。
イザヤ書 6:5
その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。
災い!滅びる!
イザヤは主の前に立って意外なことに「災い!滅びる!」と叫びました。これは僕と全く違う反応です。なぜなら一般的にクリスチャンの中では主の前に立つことは恵みであり、祝福だからです。しかし、このあと続きがあります。
イザヤ書 6:6-7
この時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、
わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるに触れたので、あなたの悪は除かれ、あなたの罪はゆるされた」。
預言者イザヤが主の前に立つことを恵みだと思えたのは悪が除かれ、罪が赦されたからでした。
ほどほどに主を畏れる
主が僕に語られようとしていることはおそらく主の恵み、祝福の前に「災い!滅びる!」と叫びたくなるほどの恐れがあるということだと思います。同じクリスチャンであっても主を畏れる程度にはかなりの違いがあります。
ある人は主を深く畏れます。またある人はほどほどに主を畏れます。僕は今後者であると教えられたのです。僕は自分の心の中で起きていることに気をつけなければなりません。また自分の口から出る言葉に気を付けなければなりません。そう教えられている気がしています。
箴言 4:23
油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。












