1928_信仰告白の際に聖霊に満たされるのか? | 聖霊のバプテスマはいつ受けるのか?

信仰告白

僕は小学5年生のキャンプの時にイエス様を救い主として受け入れる決心をしました。当時通っていた教会において小学5年生での信仰告白は比較的遅いほうでした。当時、早い人は小学生低学年や中学年で信仰告白をして洗礼を受けていたからです。そのため、僕より年下の人が洗礼を受けていることもありました。

正直に告白すれば、そういった環境において僕の中に「いずれ受けないといけないのなら早く受けておいたほうがいい」や「聖餐式に与れないのは一人前の気がしない」などの多少の不純な気持ちがあったことは告白しなければなりません。

聖霊によらなければ

しかし、当時の僕の信仰告白は真実なものでした。夏のキャンプで主イエス様を自分の救い主として心から受け入れました。その信仰告白には聖霊が働かれていたと思います。

コリント人への第一の手紙 12:3
そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。

ただ、それはまだ浅い知識における信仰告白でした。どちらかといえば、知性寄りの告白であったことは否定できません。なぜなら、当時僕の中にはまだ今も生きているイエス様と個人的に出会うという体験がなかったからです。信仰がものになっていなかったのです。そして僕自身はほとんど何も変わらなかったのです。

聖霊の証印

僕が本当に「救われた」と確信するようになったのはこの御言が自分に実現した時でした。

エペソ人への手紙 1:13
あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。

ここから書くことは賛否両論あり誤解を生む表現になるかもしれませんが書きます。僕が信仰告白した時に聖霊は働いていました。確かに聖霊によって僕はイエス様が救い主だと告白したのです。しかし、この御言に書かれている「聖霊の証印」は聖霊のバプテスマを受けた時に成就したと思ったのです。

聖霊のバプテスマ

なぜなら、証印は確かなものだからです。確信が伴うものです。それは誰かが僕に「イエスなんていない」と言ったとしても僕には絶対に否定できないレベルのものでした。それを僕は聖霊のバプテスマだと思っています。

僕の信仰に確信が来たのは主に出会った時からでした。「本当に主が生きておられるなら僕にも出会ってほしい。そしてこんな僕を造り変えてほしい。救ってほしい。」という切なる祈りを始めた時に主は出会ってくださったのです。

ですので、信仰告白の際に働く聖霊と聖霊のバプテスマは別のものとして考えたほうがいいと思っています。もし確信がないなら、それは聖霊のバプテスマをまだうけていないと思っています。

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