1927_なぜ断食祈祷をするのか? | 人が救われる前にまず必要なこと

恵みでしかない

2週間前から在宅勤務の時は断食祈祷をしています。僕はなぜこのチャレンジをもっと早くしておかなかったのかと後悔しています。なぜなら、一般的な社会人にとって平日に断食祈祷ができるのは恵みでしかないからです。出社している時に、昼食を抜くことは誰にでもできるでしょう。しかし、祈りとなると難しいです。

たとえば、車の中や自分のデスクで小さく祈ることはできるかもしれません。しかし、まとまった1時間、誰の邪魔も入らない前提で祈りに集中することは困難です。

断食祈祷は必須

なぜ断食祈祷をしているかというと、それはクリスチャンの霊的生活にとってオプションではなく必須であると教えられたからです。もし、神様との関係をもっと強くしたい、もっと自分が変えられたい、霊的生活の高みに行きたいと願うならば、断食祈祷は必須です。下記ブログにも書きましたが、やはりあらゆる書籍を読んでも断食祈祷は欠かせないと思っています。

しかし、僕は何も威張ることはできません。なぜなら、まだ3回しかしていないからです。この霊的生活を通して僕はもっと主との関係を強固にしたいと願っています。そして、なんとか、自分を通して救われる人がおこされてほしと切に願っています。

そうすれば

そう思うようになったのはある御言を黙想していた時に教えられたことがあったからでした。それはこの御言です。

詩篇 51:10-15
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。
神よ、わが救の神よ、血を流した罪からわたしを助け出してください。わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。
主よ、わたしのくちびるを開いてください。わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。

僕を通して人が救われる前には必要なことがあります。それは僕の中に清い心があり、新しい正しい霊があることです。それが僕に救いの喜びをもたらし、自由の霊によって支えられるのです。そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。

だから僕は自分が清められることを求めます。

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