1時間祈る時間
今日も祈りについて書きます。
子供が幼稚園に行くようになってから、毎朝必ず1時間祈る時間が確保されるようになりました。と言っても1時間ずっと祈るわけではありません。フリースタイルですが、だいたいこのような形式で進めています。
聖書を開き御言を黙想しながら目をつぶり祈る。自分の御言暗唱ノートを口で告白し、その日の分が終わったら目をつぶって主に手を挙げて祈る。リック・ウォーレンの「人生を導く5つの目的」を読み、再び目をつぶって祈る。その他、祈りに特化した書籍を2冊もっていて、それを声に出して宣言しては再び目をつぶって手を挙げて主に祈る。
外国語をフックにする
そして、これらを日本語と中国語と英語で行います。外国語をフックにするのはとてもいいと感じています。なぜなら、日本語だと時に読み流してしまうからです。長年同じ訳の聖書を読んでいるとつい読み流してしまうことがあります。しかし、ここに外国語をかませれば、読み慣れた箇所でもひっかかることがあります。
中国語でやっているのは自身の中国語力のメンテナンスのためです。英語でするのは将来、御心であれば海外の神学校に行けたらいいなと思っているからです。言語はツールなので、祈りや御言に大いに役に立ちます。学べてかつ、魂も恵まれるのでとてもいいと思っています。
異言で祈る
平日の朝はこのような形式です。その他、通勤途中、歩きながら異言で祈ったり、主に思いを馳せたりします。僕は異言の祈りの賜物が与えられていることに感謝しています。なぜなら、1日の労働が終わった時に意志の力や理性の力はすり減っているからです。
日常の引力にひかれつつある中で、意志の力や理性で主を求めることは難しいです。しかし、異言の祈りはそういったレイヤーを2段階ほど通り越して一気に霊の交わりに入ることができます。だから肉体が疲れている時にこそ異言の祈りはいいと感じています。
電気を消して全裸で跪いて祈る
そして、お風呂に入る時に電気を消して全裸で跪いて祈る時もあります。そういう時はほとんど声を出さずに「イエス様、天のお父様」と呼びかけるように祈ったりもします。時間はとくに決めずに祈ります。
僕は祈りに関してまだ未熟です。だからこそ、いろいろ試行錯誤しながら、もっと主と深く交われる祈りの方法や姿勢などを学んでいけたらいいなと思っています。













