1767_そこにイエスはおるんか

そこに肉はあるんか

道を歩いている時にこのような名称の飲食店を見かけました。それは「そこに肉はあるんか」というものでした。しばらくしてからわかったのですが、これは何か流行のパロディーのようです。「そこに愛はあるんか」のようなものがあるようです。

僕はこのようなことを思いました。それは「そこにイエスはおるんか」です。そう思ったのには理由があります。それは僕が長い信仰生活においてイエス様に対して間違った認識をしていたからでした。

自己中心性

「インマヌエル、主我らと共にいます」という御言は聖書の中でも指折りの深い感動を覚える美しい聖書の言葉だと思います。僕はこの言葉を長い間、正しく理解していいませんでした。なぜなら、僕はイエス様がいつでも共におられると思い込んでいたからです。つまり、実際はイエス様とは共に生きていなかったのです。

そこには人間の自己中心性が現れています。自分が中心、だからイエス様とて自分のほうに引き寄せたらいいと思っているのです。もちろん、そんなことは誰も自覚していないでしょう。しかし、自己否定がなければ誰でもそうなってしまうのです。

自己否定することなしに

インドの聖人と言われているサンダー・シングはこのようなことを言いました。それは「自己否定することなしに神に仕えることはできない」ということです。それは神と共に歩むということにおいても同じだと思います。自己否定することなしに神と共に歩むことはできないのです。

なぜなら、自己否定する人は自分のほうにイエス様を引き寄せようとしません。また自己否定しているので自分がいかに頼りない存在であるかを知っています。だから、自らイエス様のほうへ行こうとするのです。それはイエス様と共に歩むことだと思います。

御心ならば

そのことを深く知ったのはこのような歌詞の賛美に出会ったからでした。

御心ならば

御心ならば 進み行きます
そうでないなら 立ち止まります

すべては主の 言われるままに
おぉ主よ 従います

主よ 私を導いてください
主の導く場所へ行きます

弱い私 用いてください
主とその御国のために

1174_御心ならば、進み行きます。そうでないなら、立ち止まります。

僕は油断すればすぐに自己中心的になってしまいます。だから、今年はもっと自己否定に徹して主のおられるところについていくことで主と共にいることを体験したいです。

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