トリガーと発火
Web業界では、よく発火という言葉を耳にします。Webサイトなどで訪問者が特定の操作をした時に特定のイベントが動くようにする状況などに使われます。ここでは、「Webサイトなどで訪問者が特定の操作をした」がトリガーになり、「イベントが動くよう」に発火するイメージです。例えば、花火を打ち上げる時に、導火線に火をつける人間の動作をトリガー、導火線に火が付く状態を文字通り発火、そして、花火が打ちあがることを特定のイベントが動くことに置き換えられます。
Webサイトでは訪問者がいる時に何もしていなくても、トリガーとなるタグと言われるコードを書いておけば、訪問者の動きに対して様々なイベントを仕込めます。具体的には、訪問者が商品をカートに入れた時に他の商品も勧める、1000ピクセルスクロールした時にお問合せフォームを表示する、スマホでアクセスがあった時だけLINEフォローのボタンを表示するなど、訪問者の行動に応じて様々なイベントを提示できます。
聖書に仕込まれたイベント
聖書も同じようなイベントが仕込まれているような気がします。以前、ある人がこんなことを言っていました。「聖書は神様からのラブレターです。この分厚い聖書の中に必ずあなたのためだけにかかれた言葉があるので、それを求めて読みなさい。」つまり、歴史書や文学として読むのではなく、唯一無二の自分に対して書かれた手紙として読むということです。
例えば、クリスチャンと話をすると、このような言葉をよく耳にします。「苦しい時にこの聖書の言葉によって励まされた。」、「この聖書の言葉で一歩踏み出すことができた。」、「この聖書の言葉がいつも自分を支え続けている。」といった具合です。神様からの強い語りかけによるトリガーにより聖書の言葉が発火し、それによって、心や魂に変化が起きるだけでなく、行動まで変容される、そのような体験です。
自分に語られたことば
聖書66巻はすべて神様からのメッセージなので、すべてそのまま受け入れるのが正しい読み方です。(受け入れがたい聖書の言葉もありますが、、)そして、教会などで牧師先生から語られるメッセージもすべて自分に対して語られているものです。信徒は、一を聞いて十を知るくらいまでに御言から大切なエッセンスを吸い上げる霊的な感性が必要だと思います。
しかし、それ以外にも「自分に対して語られたと感じる御言」も重要だと思います。御言が発火して、力を与えられたり、励まされたり、方向性を与えられたりする体験です。そういった言葉は暗唱聖句レベルではなく、魂の奥底の深く御言が刻み込まれ、生涯忘れられないような体験を与えてくれます。
聖書には、これら発火することを「聖霊が働かれる」や「御霊が教えてくれる」などの表現で書いています。神の言葉は生きているからこそ僕たちの人生を変革するような影響を与えてくれるのです。
というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。
へブル4:12