1697_スーパーで生鮮野菜が必ず入り口付近に置かれている理由

生鮮野菜の陳列場所

買い物でスーパーに行くと、どこの店舗でも必ず入口付近に生鮮野菜や果物が陳列されていることに気づきます。普通のスーパーであれば例外はありません。冷静に考えれば、生鮮野菜や果物を最初に買い物かごに入れるのは合理的ではないように思います。なぜなら誰でも、生鮮野菜や果物が傷まないように重い物を下に入れ軽いものを上に入れたいと思うはずだからです。

しかし、どこのスーパーも生鮮野菜や果物はレジ近くには陳列しないのです。これはなぜなのでしょうか?先日読んだ本にその答えが書かれていました。

マーケティング戦略の一環

その本によると、これはスーパーの明確なマーケティング戦略の一環だそうです。それは、たとえば色鮮やかな生鮮食品を全面に出すことによってブランドイメージが健康的になるとか、ビジュアルがよくなるとか、そういったことではありません。人間の行動心理学に基づいた戦略の一つなのです。

生鮮野菜や果物がまず入り口に陳列される理由はこうだそうです。まず、野菜や果物などの体にとって健康なものを買い物かごに入れます。そのあと、店舗を見回って、いいにおいのするお惣菜やデザートやアイスやなどを目にします。この時に、買い物かごに野菜が先に入っているだけで、「自分にゆるしを与えることができる」というのです。

ゆるしの裏

そのゆるしの裏には、意識的にしろ無意識的にしろ「こんなものを買ってもいいだろうか?そうだ、野菜を買っているから大丈夫」という思考があるようです。体によくないもの、高カロリー、高脂肪のようなものをそれらで相殺できると思わせるために入口付近に生鮮野菜など健康的なものを陳列しているらしいです。

実際のところはわかりませんが、確かにそういった傾向は少なからずあるのではないかと思いました。

良いことを先にすることで悪いことをしても多少は大丈夫だろう

なぜなら、僕の日常生活にもそういった思考が起きているからです。たとえば、筋トレをした日なんかに家にあるドーナツを見たら、「筋トレしたからこれくらいの大丈夫だろう」と思っている自分が確かにいるのです。

この思考は恐ろしいと思います。なぜなら、良いことを先にすることで悪いことをしても多少は大丈夫だろうというマインドだからです。僕はクリスチャン生活においても同様の思考が働いているのではないかと思います。

それは「日曜日教会に行ったから、〇〇してもいいだろう」、「什一献金をきちんと捧げているから、〇〇してもいいだろう」と意識的に考えてなくても、無自覚のうちにそういった行動をとっている可能性があると思わされたからです。

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