ビールの税率が下がる
先日、酒税が改定するので飲料メーカー各社が新しいビールを続々と市場に投入しているというニュースを見ました。僕はお酒を飲まないで実情には疎いですが、これまで税率が低かった第三のビールの税率が上がる一方、ビールの税率が下がるので価格差がなくなるということでした。このマーケットが大きく動くタイミングで各社、シェアを奪おうとしているとのことでした。
さらにニュースでは最近は昔と比べてアルコール需要が低下していることにより、ノンアルコール飲料のバリエーションが増えているとも言っていました。僕の新入社員の頃はノンアルコールビールといえば、へたれや運転をしないといけない人だけが飲むというような印象があったほどなので、わずか十数年でだいぶ変わるなぁと思いました。
飲酒について
クリスチャン生活について飲酒はよく議論されているように思います。飲んでいいのか?駄目なのか?などが議論されているように思います。ある人は聖書で「パウロがテモテに少量のぶどう酒を飲むことを勧めている!」や「聖餐式のぶどう酒こそお酒だ!」というかもしれません。
僕は自分自身の経験、また様々なクリスチャンに出会った経験からこのような結論に達しました。それは「お酒を飲むこと自体は罪ではない。自制できる限りはわずかな良い側面があるが、自制できない限りは悪い側面しかない」というものです。
僕は飲まない
僕は自制心がないので、お酒を飲まないことを選びます。何よりお酒を飲みたいとも思いません。自身の経験から、良くも悪くも、しらふの時と全く別の自分が現れるので一貫性に欠けるという理由からも飲酒はしたいと思いません。また、「今お酒を楽しみ、あとで酔いの気分の悪さを味わうか?」と「今お酒を楽しまないが、あとで清々しい目覚めを味わうか?」を比較すれば、絶対後者を選びます。前者は刹那的、快楽的です。
しかし、誰かクリスチャンがお酒を飲んでいるからと言ってその人を批判する気持ちは少しもありません。僕が中国にいた時の話です。当時、福音派の1200人が集う中国の家の教会に行っていましたが、その教会は明確に飲酒を禁止していませんでした。
そもそも、聖餐式で非常にアルコール濃度の高い本物のワインが提供されます。また、教会外のクリスチャン数人での食事ではお酒が出ることもありました。これは日本のキリスト教会ではありえないことでしょう。しかし、その教会は大リバイバルが起こっていたのです。
自制できない限りは悪い側面しかない
もちろん、僕は飲酒と信仰生活や主の働きの因果関係について何か言いたいわけではありません。ようはその人がそれを選ぶならそれでいいと思うのです。
「お酒を飲むこと自体は罪ではない。自制できる限りはわずかな良い側面があるが、自制できない限りは悪い側面しかない」