子供とお出かけ
先日、久しぶりに子供と二人だけで公園に行きました。朝から子供が「おとうしゃんと〇〇線(電車の路線)で大きい公園に行く」と言っていたからです。僕は常々自分に自信がない大人なので、子供にそう言ってもらえて心躍りました。当日は子供の昼寝が終わって少し肌寒い夕方の時間から一緒に電車に乗って公園へ行きました。
男同士のお出かけってこういうものなのかもしれませんが、嫁さんがいないとあまり話に花が咲きません。電車の中で子供に話しかけてもそれほど盛り上がらないのです。それでも男同士は無言でもわかり合っています。と思っています。
楽しい時間
大きい公園について大きな遊具を見た瞬間、子供に火がつきました。一緒にローラー式の大きい滑り台を滑ったり、綱渡り的なものをしてみたり、次から次へと遊具を変えて楽しみました。いつもは嫁さんが言っている「一緒に乗ろうか?」とか「ちょっとそっち行ったらだめだよ」とかのセリフも言えてお父さんになった気分でした。
それからさらに別のエリアにある恐竜の形をした大きな遊具などでも遊んで1時間以上一緒に遊びつくしました。もう時間は17時半を過ぎて日が沈みそうになっていました。遊んで疲れたあと「あっこ」と言われて抱っこして歩いている時にこの時間がずっと続けばいいと思いました。
対岸の火事ではない
僕は悲観論者なので、この世界で起きている様々な出来事を見てそれが他人ごとに思えない性分です。他の国で戦争が起きていて日本だけが例外のはずがないと思います。他の国で飢饉や飢餓が起きているの日本だけがもれなく例外とはいかないと思っています。ここ数年は疫病から始まり戦争があらゆる地域で起きていて、経済金融もいつ極度に不安定になるのかわからないような状態です。
僕が生きている間に過酷な時代がくるのであればまだ忍べます。しかし、不安定で過酷な時代を子供の世代に過ごさせたくありません。芥川龍之介が、ぼんやりとした不安と言ったように、僕の中にもこの世界はこれから本当に大丈夫なのだろうかといった不安が心の中にある時があります。
イエス様の平安は不安を消し去る
しかし、僕はそれでも感謝だと思っています。なぜなら、もはやそのぼんやりとした不安に支配されることはないからです。様々な情報を聞いて心に不安が沸き起こることはあります。人間ですから恐怖も感じることがります。しかし、心の中には確かにイエス様がいてくださっています。その圧倒的な平安は不安を消し去るのです。
この圧倒的な平安が子供にもあれば、たとえ、この世界がどうなっても必ず大丈夫だと思えるからです。そんなことを思いながら沈む太陽を眺めて帰りました。