僕の父

父に関する証

先日教会で父について語ることがありましたので、ここに記録として残しておこうと思います。

父が救われるまで

僕の父は愛知県出身で昭和27年に4人兄弟の末っ子(次男)として生まれました。実家は主に造園業を営んでいました。すべての愛知県出身の方がそうだとは決して思いませんが、少なくとも父は愛知県特有?の典型的な見栄張りの家庭で育ったようです。

田舎では長男こそが重宝され次男は文字通り「次」でした。見栄を張りたい。人から認められたい。けれど、長男のようには扱われない。そんな満たされない思いとジレンマの中で、いわゆる「放蕩息子の原型」が、少しずつ形づくられていったのかもしれません。

父は高校卒業後、遊びに行くためだけに大学に行ったと申しておりました。何の目的もなく、ぶらぶら~とその日その日楽しいことをして過ごしていたのでしょう。大学卒業後、仕事のために関西にやってきました。ある日、道を歩いていた時に、前方から騒がしい集団が歩いてくるのが見えたそうです。そうです。今やなつかしき、路傍伝道隊です。

父は、たった一枚の「あなたも変われます」という表題のトラクトを受け取って、教会に行ってみようと思ったそうです。きっと父の中には「満たされたい」「変わりたい」という強い願望があったのだと思います。その後、洗礼を受けて教会で結婚しました。ここまでが父の簡単な経歴です。

僕からみた父親

父がよく言っていた言葉を書きます。

人様に迷惑をかけるな

僕自身は3人兄弟の末っ子として生まれて非常に甘やかされて育てられました。そのためか父に怒られた記憶はありません。僕が何かしたいと父に相談すると、父はいつもこの言葉「人様に迷惑をかけるな」だけ言いました。

信仰、信仰だけじゃあかん

これは、うまく読み取らないといけないのですが、信仰をもって実際にこの地上で生きるためには「現実的な努力が必要だ」ということを教えたかったのだと思います。

アーメン

父は礼拝中、説教に対する応答として大きな、どすのきいた声で「アーメン」と言っていました。これは今も言っています。

次は僕からみた父の性格について書きたいと思います。

心配性

姉が高校生の時、門限を過ぎても帰ってこないことが多々ありました。門限を1秒でも過ぎるとすぐに姉に電話していました。なかなか帰ってこない姉に対して何度も何度も怒り狂って姉に電話していた姿を今でも思い出します。帰ってきてほしいのに怒り狂って何をいっているのかわからなくなり、「もう帰ってくんな!」と言っていたのを覚えています。

喜ばせたがりや

僕の家では家庭集会を開いていました。集会が終わったあとの交わりの時間で、父はいつも面白いことばかり言って、周りを爆笑させることをしていました。その雰囲気や熱気は今でも覚えていて、僕は幼いながら「お父さんはすごい!面白い!」と思っていました。

幼子のよう(父の最大の特徴)

これには二つの側面があります。一つは、神さまの前でいつも幼子のようであったということです。父には良くも悪くも裏表がありませんでした。教会と家庭での行動と言葉に矛盾はなく、一致していました。つまり、いつも神さまの前に自分をありのままでさらけ出す生き方をしていたのだと思います。

実は僕の信仰の原型は、父のこの姿にあると思っています。「神さまの前に見栄を張らなくてもいいだ」、「強がらなくてもいいだ」、「ありのままで主の前にでてもいいんだ」ということを、父の姿を見て教えられたんだと思います。

もう一つの幼子である特徴は、文字通り、2歳児であったということです。普通であれば、外見はおっさん、中身は2歳児の人は嫌われます。

自分勝手、言いたいことは何でもいう、相手のことは考えない。しかし、父は不思議なほどに、教会の人にも会社の人にも地域のひとにも愛されているひとでした。それは父が神さまを愛し、神さまに愛されていたからだと思います。神様の恵みと憐れみの中を生きてるからだと思います。

最後のエピソード

父は4年前に脳梗塞で倒れました。1回目は首の椎骨動脈が完全に閉塞している。他の細い血管でなんとか命を保っているとのことでした。感謝なことにしゃれべました。ただ動けますが、足がもたついて歩きにくいというような状況でした。

2回目は再び脳梗塞でした。今回はコロナにも感染していました。不思議なことですが、3週間後には以前よりも元気になって帰ってきました。

3回目は父は散歩のため家を出ていきました。何気なく母があとから外に出たみたら、家の前でそのまま後ろに倒れていたようです。今回は外傷性くも膜下出血でした。手術をし、無事退院しました。

4回目はなんとその日は、礼拝で説教の途中でした。説教中、「椅子に座りながら目を見開いたまま意識を失っている」と兄弟姉妹が気づいたのです。説教が中断され、その場で兄弟姉妹の祈りが一斉に礼拝堂に響き渡ったと聞いています。父は不思議にも、また以前よりも元気になって帰ってきました。

父は2024年に当時のことをこのように振り返っています。

70歳8か月まで働いてきました。これからセカンドライフ、第二の人生と楽しもうと、楽しみにしていました。けれども、倒れて入院の時に『なんで、こんな病気になるんだ、これが現実か』と思うと、つぐやきショックで何も考えられず、誰とも話したくないと思っていました。振り返り思い出せば、つまらぬ自分勝手なことで意地を張っていました。元をただせば、高慢でした。イエス様を困らせ、わがままでした。時が経つにつれ、私に悔い改めの時が来ました。今まで歩んできた、ねたみ行いの数々を、イエス様が私に甘えさせて、許してくださいました。慰めがきました。信仰がだんだんと回復していきました。感謝、感謝でした。どんなときにも、いつもそばにいてくださり、いつも一緒にいてくださいました。共にいて、助けてくださいました。

そして、最後の脳梗塞からまもなくまる2年が経過します。先日、このような連絡が入りました。

「通院はもう終わりです。年に1回定期検査するだけでよくなりました。」

この5年間、僕は神様の恵みと憐れみの中を生きてる父を見ました。このような御言をパウロは言っています。

コリント人への第二の手紙 6:9
「死にかかっているようであるが、見よ、生きており、」

僕は父を見るたびに、そこに神さまの憐れみを見出します。本当に本当に世界で一番大好きな父です。

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